日本の法に関わる歴史的空間-旧横浜地方裁判所陪審法廷-

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戦前の日本に存在した市民参加型の裁判制度に用いられた法廷の歴史。
国民の中から選ばれる裁判員が刑事裁判に参加する裁判員制度が、平成21(2009)年5月21日に始まって以来、令和5(2023)年で14年の月日が経過しようとしている。現在では、一般市民が裁判に参加するこの制度は多くの人々に知られている。しかし、この制度が実施される以前の日本にも、厳密には異なるが同様の裁判制度が存在したことは、あまり知られていないのではないだろうか。それが陪審制度(昭和3(1928)年施行~昭和18(1943)年停止。廃止されていない!)である。この制度は大正デモクラシーの下、法律の専門家と当事者のみで行う裁判ではなく、人権擁護とひらかれた司法を目指し、市民が司法に参加する形を裁判員制度に先駆けて実現した制度である。

そしてその裁判のための施設として作られた「旧横浜地方裁判所陪審法廷」が桐蔭横浜大学(桐蔭学園アカデミウム)に移築され、戦前の当時のまま保存・展示されている。同様の法廷は当時全国に71作られ、その中でも旧横浜地方裁判所陪審法廷(昭和5(1930)年建築)は広さ約200m²、天井までの高さが約5.4mあり、東洋一を誇る法廷と評された。国内に現存する陪審法廷は、本学のものと京都地方裁判所から立命館大学(松本記念ホール)に移設されたもののみである。展示されている現在でもこの法廷がもつかで心が引き締まる雰囲気は失われていない。

戦後、昭和20(1945)年~昭和24(1949)年までは連合国軍にされ、米軍の軍事委員会によるBC級戦犯の裁判のための法廷として使用された(その時の設備の一部が現在も法廷に残されている。BC級裁判は、虐待や略奪などの「通常の戦争犯罪」・「非人道的な行為に対する罪」に関わる裁判である。)

昭和25(1950)年に接収を解除された後は、一般の民事・刑事裁判のための法廷(特号法廷と通称された)として使用された。平成7(1995)年には、東海大学安楽死事件の判決の言い渡しが行われている。このように日本の裁判史に残る判決が下されてきた法廷であるが、平成10(1998)年に横浜地方裁判所が老朽化を理由として取り壊された際に解体された。同法廷は入念な修復作業を経て復元された後、平成13(2001)年から桐蔭学園アカデミウムにて展示、一般に公開されている。

旧横浜地方裁判所陪審法廷は、昭和から平成にかけて、陪審法廷、軍事法廷、特号法廷として使用されてきた法に関わる歴史的空間であり遺産である。

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