朝日新聞社と沖縄タイムス社が特設サイト「沖縄1972 写真でたどる日本復帰50年」を開設

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 株式会社朝日新聞社(代表取締役社長:中村史郎)と株式会社沖縄タイムス社(代表取締役社長:武富和彦)は、沖縄の日本復帰50 年にあたり、両社が所蔵する写真を通して沖縄の歩みを振り返る特設サイト「沖縄1972 写真でたどる日本復帰50 年」を開設しました。
 米軍基地から派生する課題を取り上げた「変わらぬ願い」(https://www.asahi.com/special/okinawa/kawaranunegai/)と、復帰を境に移り変わる生活風景を収めた「変わる日常」(https://www.okinawatimes.co.jp/common/otp/feature/kawarunichijo/)の2 つをテーマに設定。ドルから円への通貨交換や、自動車の通行が右から左に変わった通称「730(ナナサンマル)」を知らせる標識などのほか、沖縄と米軍の敷地の境界となる金網、土地の強制接収により米軍機が見える基地のそばで耕作する農民などの写真48 枚を紹介しています。

朝日新聞デジタル版「変わらぬ願い」編朝日新聞デジタル版「変わらぬ願い」編

沖縄1972「変わらぬ願い編」﹣写真でたどる日本復帰50年:朝日新聞デジタル
米軍が統治していたころの沖縄で、米兵の犯罪や軍用機の事故に直面した人々が願いをたくしたのが「復帰」だった。その願いはいま、かなったのか。沖縄が日本復帰を果たして50年。朝日新聞社と沖縄タイムスの所蔵写真からたどる。

 

沖縄タイムス+プラス版「変わる日常」編沖縄タイムス+プラス版「変わる日常」編

沖縄1972「変わる日常編」﹣写真でたどる日本復帰50年:沖縄タイムス+プラス
米軍が統治していたころの沖縄では、街に英語の看板が立ち並び、車は右側通行。買い物で使うのはドルだった。そんな沖縄の日常はどう変化したのか。沖縄が日本復帰を果たして50年。沖縄タイムスと朝日新聞社の所蔵写真からたどる。

 一部の写真には関連記事も掲載し、当時の様子をうかがい知ることができます。また、戦後から現在に至る
まで日本と沖縄で起きた主要な出来事を整理した年表や、復帰前後に両社で実施した共同世論調査の
集計結果なども盛り込まれています。
 写真は「朝日新聞フォトアーカイブ」(https://photoarchives.asahi.com/)から購入できます。特設サイト
の関連リンクからアクセスできます。

 

日本と沖縄で起きた主要な出来事を整理した年表日本と沖縄で起きた主要な出来事を整理した年表

 

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