【企画背景】
沖縄県は琉球王朝時代より独自の文化を育んできました。染物である琉球びんがた、そして焼き物であるやちむん。どちらも長い時間を積み重ね、いまに至る沖縄を代表する工芸品です。今回、各産地で活躍するふたつの工房がそれぞれの作風に敬意を払いながら、沖縄の新しいギフトセットを共創しました。
【商品紹介】
セット内容
・風呂敷 1枚
・ライスボウル 2個
風呂敷、ライスボウル共に、それぞれの工房の人気の図柄、文様があしらわれています。
図柄、文様にはそれぞれ縁起の良い意味があり、先人たちの想いが込められております。自分へのお土産にも、ギフトにも喜ばれる商品となりました。
・ふくら雀(知念紅型研究所):愛らしい“ふくら雀”は、冬の寒さに羽毛を膨らませる姿から豊かさを表現。
・唐草(育陶園):四方八方に限りなく伸びるさまから、延命・長寿、子孫繁栄を意味する。
・菊文(育陶園):太陽の恵みを象徴する花。病気を治し、寿命を延ばすと考えられた文様。
■琉球びんがたについて
沖縄の特色を鮮やかに表現する型染め。びんがたは戦前までは琉球衣装として、戦後には和装として多く染められました。起源は15世紀ごろまで遡ります。
中国やインド、ジャワの更紗などの染色技術を基に生まれたといわれており、「紅型」という漢字表記が広く普及され始めたのは昭和初期ごろ。それまでは「びんがた」のひらがな表記、更に「型付」「型附」(かたちき)と呼ばれていました。紅型の「びん」が何を意味するのかには、インドの「ベンガラー」から転じた説、「びん」が色という意味を表す説などさまざまな説があります。
■壺屋焼について
他に類がない多様な陶芸技法。1609年に薩摩・島津藩が琉球に侵攻してくると、南方の国々との交易でも様々な制約を受け、利益もことごとく搾取されるようになりました。琉球王府は生活道具であるやちむん(焼きもの)を、自国でつくる必要に迫られ、この時からやちむんづくりが進んでいくことになります。時は流れ、1682年、製陶で産業振興を推し進めようという王府の政策のもと、涌田、知花、宝口の3つの窯が牧志村の南(現在の壺屋)に統合されます。これが「壺屋焼」の歴史のはじまりです。第二次世界大戦で甚大な戦禍を受けた沖縄でしたが、壺屋は奇跡的に空襲からまぬがれ、戦後の那覇は壺屋から始まったといわれます。
■プロジェクトメンバーの紹介
【知念紅型研究所】
かつて琉球王朝士族に仕えた知念家、城間家、沢岻(たくし)家は、紅型三宗家と呼ばれています。知念紅型研究所は、1972年、知念家の流れをくむ知念貞男により創設。十代目・知念冬馬が今回のコラボレーションでは、祖父である貞男が愛した“ふくら雀“を染めました。
【壺屋焼窯元 育陶園】
高江洲家は先祖代々壺屋に土地を賜り「壺屋焼」をつくってきました。戦前は一時満州に移り住みましたが、戦後帰還。五代目で“現代の名工”となった高江洲育男が「高江洲製陶所」を設立。1988年に壺屋やちむん通りに店舗を構えた際に「人も陶器もここで育って大きくなってほしい」との想いをこめて「育陶園」となりました。
【アイデアにんべん】
パンフレットやパッケージなどの企画制作、編集、取材記事などを承る事務所を運営しています。読谷村を拠点に「地域」を広告する仕事に取り組み、何を「伝える」か、どうすれば「伝わる」かを、アイデアと言葉から考えます。
【一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム】
沖縄が誇る「びんがた」を伝承し発展を目指す、産管学連携のコンソーシアムです。
沖縄県内企業を中心に、びんがたを知財として活用したコラボレーションを手掛けるほか、びんがたの若手職人を発掘するコンペティションも企画しています。
所在地:〒900-0033 沖縄県那覇市久米1丁目4−17
URL:https://bingataconsortium.com/
代表理事:屋冨祖 幸子 / 事務局長:小渡 晋治
TEL:050-5471-6988
事業内容:琉球びんがたライセンス事業、普及販売事業、技術伝承事業、知財モニタリング事業
■お問い合わせ先
一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム
TEL:050-5471-6988