150周年を迎える潮岬灯台にて「特別一般公開」および「灯台クルーズ体験と講演会」を行いました!

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紀の国灯台利活用推進委員会は、今年150周年を迎える潮岬灯台の歴史的・文化的価値を再認識することを目的に、灯台の「特別公開」および「クルーズ体験と講演会」を2日間にわたって開催いたしました。このイベントは、灯台の存在意義を高め、灯台を起点とする海洋文化を次世代へと継承していく「海と灯台プロジェクト 新たな灯台利活用モデル事業」の一環です。
 

  • イベント概要

イベント名:「潮岬灯台特別一般公開」および「潮岬灯台クルーズ体験と講演会」
日付:2023年1月21日(土)、22日(日)
開催場所:和歌山県串本町(潮岬灯台、および和歌山東漁業協同組合)
参加人数:特別一般公開 175名、クルーズ体験 21名、講演会 33名
協力団体:田辺海上保安部

潮岬灯台は普段から見学可能な灯台ですが、今回は田辺海上保安部の協力により、通常は入れない灯室(ライトの置いてある部屋)まで登ることができました。またクルーズ体験では、海上から灯台を眺め、灯台の役割について学ぶと共に景観を味わい、講演会では、今回のプロジェクトで同時進行していた歴史調査の成果発表として、灯台の設計者や灯器の変遷(フレネルレンズ含む)について判明したことを発表しました。
 

  • ライトのある部屋まで登ってみたい!特別一般公開は大盛況!

潮岬灯台は日本に16基ある参観灯台のひとつなので、平時から灯台に登ってバルコニーからの眺めを楽しむことができますが、この日はさらに上にある灯室(ライトの置いてある部屋)まで入ることができました。灯室には「LBH―120型」という灯器が設置されています。とてもパワフルな光を発する灯器で、その光の強さは日本で第3位。夜は光が35キロ先まで届きます。田辺海上保安部の解説を聞いた参加者は『これまで何度も灯台を訪れたことがあったけど、今日初めて灯台の役割をちゃんと知ることができた』や、『昼しか灯台を眺めたことがなかったけれど、今夜は夜の姿を眺めてみる』、『知的好奇心が刺激されて、いろんな灯台を見てみたくなった』と感想を聞かせてくれました。

またこの日はオリジナルグッズとして灯台のアクリルキーホルダーを配布。さっそくカバンに付ける人もいて、灯台を身近に感じるきっかけとなったようです。

 

  • 海からみる灯台は格別!そして灯台の歴史に触れる…。

冬の時期としては珍しい穏やかな快晴のなか、漁港を出発した船は30分ほどかけて灯台の見える沖までやってきました。潮岬灯台が見えた瞬間は歓声が上がり、甲板ではシャッターを押す音が鳴り止みませんでした。『海上から見る灯台は特別。より一層、立派に見えた』という声や、『この景色は150年まえから変わらないのかもしれないと思ったら感動した』という感想が聞かれました。

講演会では、「灯台研究生」というペンネームで灯台ファンの間では名が知られる星野宏和氏によって、初代の灯台を設計したR.H.ブラントンと、2代目の石造りの灯台(現在の灯台)を設計したJ.マクリッチの灯台の違いについてお話がありました。螺旋階段が時計回りか逆回りかの違いや、窓を付ける方角によって分類できるという着眼点は、明治期灯台をくまなく調査してこられた星野氏ならではのもの。また潮岬灯台に込められた特別な設計上の工夫など具体的な解説があり、聞いた参加者からは、『潮岬灯台と他の灯台を比較してくれたことで、いかに潮岬灯台がすごい灯台かわかった。誇らしい気持ちです』という声がありました。現在の灯台を設計したJ.マクリッチについては、日本では顔写真も見つかっていないほど、これまで注目されてきませんでした。今回の講演会がきっかけとなってマクリッチ研究が進んでいくことも期待できます。

また、光学・映像・精密機械の設計、開発を本業とする石島薫氏によって「潮岬灯台の光の変遷」をテーマに講演がありました。初代の光源は反射鏡と呼ばれる灯器が使われることになっていましたが、輸入した反射鏡を載せた船が日本に向かう途中に沈没。代用として急遽サンフランシスコから取り寄せた汽車用のヘッドライトを使った。そのため正式点灯は3年遅くなった。など、当時の経緯についてエピソードが語られました。また現在、潮岬灯台の資料室で展示してある第二等不動レンズは、これまで製造国やメーカーが不明とされていましたが、立川の海上保安庁試験研究センターで設計図が発見され、この大きさの不動レンズとしては数の少ない貴重な国産レンズであることが判明しました。石島氏は史実を突き止めるために、いくつもの可能性をひとつひとつ確認し、丁寧な現地調査を行った上で判明したことを発表。その誠実な調査方法に参加者も感心しきりのようでした。

 

  • 潮岬灯台とは(和歌山県 串本町)

潮岬灯台は明治6(1873)年に正式点灯しました。初代の灯台は「日本の灯台の父」であるスコットランド人のR.H.ブラントンによって建てられた木造灯台でした。しかし耐久性の問題でブラントンの後任であるイングランド人のJ.マクリッチにより明治11(1878)年に現在の石造灯台に建て替えられます。つまりお雇い外国人技師2名が関わった歴史的大灯台です。本州最南端に建つ灯台として、いまでも世紀を超えて重要な光を放っています。

 

  • 潮岬灯台の実証実験イベントを行ってわかったこと

紀の国灯台利活用推進委員会は、旧官舎(灯台守が住んでいた家)を宿泊可能な教育・観光施設として利活用することを最終目的としています。今年度は、旧官舎の耐震診断と灯台に関する歴史調査を行っておりますが、その成果発表として今回のイベントを企画しました。しかし講演会を行うだけではなく、灯台をより身近に楽しんでもらうきっかけとしたいという思いから、特別一般公開とクルーズをセットにしました。

〇特別一般公開で分かったこと
灯台に登って景色を楽しむだけではなく、灯台の役割や光が遠くまで届く理由などを理解して見学することで、灯台の理解がすすみ充実度があがる。今回は海上保安部の解説によってそれが実現したが、今後、アプリなどを活用した音声ガイドや映像などを提供することで普段から灯台と海の安全についてより学ぶことができる機会を提供できるのではないか。

〇クルーズ体験で分かったこと
灯台を海上から眺めるという特別感のある体験となった。天気に恵まれたのは大変に幸いだったが、天候によっては実施ができなくなるため、観光ツアーとして盛り込むには荒天時の代替案が必要。

〇講演会でわかったこと
潮岬灯台は、お雇い外国人である二人の偉人が関わった灯台であり、また灯器も初代から数えて5回も変わっている。そうした節々の変更時には必ず「理由」や「エピソード」がある。そのためストーリーが大変豊富である。ただしマニアックな内容となってくるため、ストーリーの活用方法としてはいくつかの展開を考えていきたい。ひとつは1時間ほどのガイドツアーをつくるという方法。灯台の基礎知識、歴史、専門用語の解説から始まり、灯台の周囲をフィールドワークしながら参加者と一緒に歴史を探求していく。テレビ番組の『ブラタモリ』のような楽しみ方。もうひとつは子どもから大人までどの世代の人も理解、納得ができるよう、エピソードをコンパクトにまとめ、うんちく(トリビア)のようにして伝える方法。その他にも謎解きの答えにエピソードを組み込んだり、J.マクリッチを主人公とした歴史小説をつくったりするなど、さまざまな展開が考えられる。

そうした活用によって、灯台と地域の歴史が結びついたり、当時の国内外の情勢についても知ったりする機会となれば、広い世代の興味をひき、教育にもつながっていくだろう。

<団体概要>
団体名称:紀の国灯台利活用推進委員会
活動内容:潮岬灯台の敷地にのこる明治3年に建てられた灯台守官舎(旧吏員退息所)を、宿泊施設(灯台コテージ)として利活用をすることを目的に活動をしています。実現すれば日本初の「泊まれる灯台」の誕生です。

海と灯台プロジェクト 新たな灯台利活用モデル事業
日本財団「海と日本プロジェクト」の一環として、灯台を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、異分野と異業種、⽇本と世界をつなぎ、新たな海洋体験を創造していく「海と灯台プロジェクト」。その取り組みのひとつである「新たな灯台利活用モデル事業」は、灯台の様々な利活用モデルを創出することで、灯台の存在意義を高め、灯台を起点とする海洋文化を次世代へと継承していくことを目的としています。初年度である2022年度は、本リリース事業含め、全国で12事業が採択されました。
海と日本プロジェクト公式サイト https://uminohi.jp/
海と灯台プロジェクト公式サイト https://toudai.uminohi.jp/
新たな灯台利活用モデル事業 公募情報 https://toudai.uminohi.jp/event/post-5778/

 

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