私たち株式会社イデア(大阪府大阪市淀川区宮原5-3-52 イデア新大阪ビル)は、大阪、東京、京都、兵庫を中心に個性豊かでプロダクトアウトな料理を提供する数々の飲食店を展開、また全国で様々な不動産賃貸事業を営んでいる企業です。
弊社は、1985年当時、現役国際線パイロットの機長として勤しんでいた淀井勉(よどいつとむ)が、不動産事業及び物販の会社として創業。
翌年1986年には「宮崎地鶏炭火焼 車 蛍池店」を開業し、以来36年にわたり「よそで味わえん”ええもん”を出す。」「全てはお客様の感動と幸せのために。」「100店舗つくるよりも100年以上続く店をつくろう。」を理念として飲食事業を主に経営を続けて参りました。
このたび2022年12月15日にラストフライトを迎えた淀井は、43年勤続した旅客機パイロットの職を定年で引退。今後は株式会社イデアの事業に全力を注ぐ第2のフェーズに移行します。
今回プロのライター様をお招きし、淀井の息子であり取締役でもある淀井隆介が、父・勉のこれまでの歩みをインタビュー形式で語ります。
- 国際線機長とオーナー経営者というふたつの夢を追い、両方を実現
―父・淀井勉さんは、大手航空会社の国際線機長として勤しむ傍らイデアを創業、実に36年間もの長きにわたり経営を続けてこられました。まずは創業に至るまでの経緯を教えてください。
淀井隆介(以下、隆介):まず、父が航空機のパイロットを目指したのが小学生の頃。当時大阪市電の運転士だった祖父に連れられ、飛行機を見に行ったのがきっかけです。
その後、パイロットになるという夢を抱きつつも、もう一方で「何か事業を興したい!」という強い想いを持っていて、「どちらも実現するんだ!」という情熱に駆られていたといいます。
とはいえ両方を同時にスタートさせることは不可能。そこでまずは当時唯一のパイロット養成機関である運輸省航空大学校に入学し、パイロットを選択。「事業を始めるのは空に飛び立ってからにしよう。」父はそう決め、パイロットの道に足を踏み込んだというわけです。
―とても合理的で納得の優先順位ですが、それでも両方の実現に向けて行動を起こせる人はなかなかいないですよね。
隆介:そうですね。時代背景を考えても、副業や独立が今ほど一般的ではない時代でしたし、それこそ公務員だった祖父は、父の考えを全く理解できなかったそうです(笑)。けれども、父は両方を成し遂げてしまうんですね。
まだ航空機関士として乗務していた1985年に株式会社イデアを創業。当初は不動産と物販の事業を開始。とにかくトライアルアンドエラーで、どのような事業が長く続けられるかを検証していたと聞きます。
そんな中、航空大学校がある宮崎県で母と出会った。これが飲食業との出会いになります。
母の兄が焼鳥店をやっていて、ここで出していた宮崎名物である地鶏もも肉の炭火焼、通称「もも焼き」が絶品だった。
さらに同時期、大阪で飲食店を経営していた先輩から「店舗を引き継がないか」という打診がきた。父は「大阪にはもも焼きの文化がないから、やる価値がある!」と、経営を引き継ぎ、店舗を開くことを決めます。
それが株式会社イデアの1号店となる「宮崎地鶏炭火焼 車 蛍池店」です。
父自身は包丁を握ったことも、ホール接客をしたこともない。そもそもパイロットなので常に店舗にいるわけにはいかない。そこで「自分はプロのお客様として会社を経営しよう」と考え、創業当初店舗には母と祖母が立つことにした。
今となってはびっくりな話ですが、当時生まれたばかりの姉と私を背負ったまま切り盛りしていたそうですよ。
- 慣れない飲食店経営に長期間の苦戦を強いられるも、思考と工夫で現状を改善し、好転へ
―まさに偶然の出会いが重なって始まった飲食店経営。なにか苦労はありましたか?
隆介:当初は「もも焼き」の認知度の低さもあり、売上がなかなか振るわず、実に8年間も赤字が続いていたと聞きます。それでも「従業員の家族もイデアの家族。守り抜く義務がある。」と、自分自身の財布をスッカラカンにしてでも給与を支払い、なんとか営業を続けていた。
そんな状態なので広告を打つなどもせず、当時はWEBサイトもSNSもないので、父は自分で「『車』という店はおいしかったなあ!」と声に出しながら街を練り歩いたり、道行く人に道行く人に「『車』って美味い焼鳥屋がこの近所にあると聞いたのですが、ご存知ですか?」と聞いて興味を持たせたりと(笑)、色々工夫しながら認知を広げようと努力していました。
母と祖母が「ふたりの名物母ちゃん」と言われるほど人気者になっていったのも大きかった。
そうした色々な要因があって、少しずつファンがつき、地元に根差したお店になっていったんです。
―とても泥臭く、アツい話ですね。そうして大阪を中心に個性ある業態と店舗を増やしてきたイデアですが、勉さんがパイロットであるからこその強みのようなものはありますか?
隆介:これは、弊社の理念のひとつである「よそで味わえん”ええもん”を出す。」に関わってきます。
先ほどもお話しした通り、父は包丁を握れないし、接客もやったことがない。その代わり、パイロットとして国内外問わず様々な地域に足を運ぶことができる。
あの食材を使って、こんなメニューは作れないだろうか?この食材を使った店を作りたい!といったように、各地で見つけた新鮮な食材から、「よそで味わえん”ええもん”を出す。」に根ざしたメニューや店舗開発のきっかけをつかんでくることが、父の強みであり一番の仕事だと言えます。
また、父は店に立てないため、逆に「常にお客様目線でいられる」ということも強みとしています。
フライトを終えて帰ってきたら、弊社店舗をお客様目線で見て回る。味がぶれていないか、接客は悪くなっていないか。徹底的に。
まさに、ふたつ目の理念「全てはお客様の感動と幸せのために。」を体現している。
パイロットという職場環境を有効活用し、常に思考を止めないところが父の最大の強みなのではないかと私は思います。実は、大空を飛びながらふと名案が浮かぶこともあるそうですよ。
- 定年を機に株式会社イデアの経営に注力。今後は海外での展開を視野に入れる
―今後はどのような展開を考えていますか?
隆介:まず、父個人としては12月にパイロットを定年退職したことによって、今までよりも時間を多く取れるようになったため、一度店にどっぷり漬かりたいと思っているようです。
本当にお客様が楽しめているのかどうか、できていない部分があるとしたら、それはどのようなところなのか。経営者として「お客様目線で徹底的に自分の信念を流し込みたい」と考えています。
また、弊社としては国外進出に目を向けています。父は国際線パイロットを経験したことで、日本のメディアだけでは拾いきれない食文化、風習、生活様式の違い、世界の為替の動きや体感物価、購買力平価を自分の足で拾ってきて、会社経営に落とし込むことができる。
そうした強みも活かし、海外でのレストラン経営・運営を行っていきます。すでにLA、ニューヨーク、ロンドンへの視察も決まっています。
―今後の展開がとても楽しみですね!隆介さんからみた勉さんの印象はどうですか?
隆介:ひと言でいえば、職人肌。
弊社三つ目の理念「100店舗つくるよりも100年以上続く店をつくろう。」にも、そういった父の職人肌なところが出ていて。
短期的に展開をどんどん広げていくことより、自分たちの想いや信念を込めた店を、しっかり時間をかけて地域に根付かせ、正直に丁寧に長く経営をしていこうという人ですね。
でも、柔軟性もあるんです。コロナ禍によるリモートワークやWEB会議の定着など、働き方、社会構造の変化には素早く対応するところとか。
それに、行動力と決断力がすさまじい。家賃とのバランスでアフターコロナでの売上回復が見込めない店舗、例えば銀座・新宿エリアの4店舗は2020年7月に撤退を決断したり。
ただ、一店一店愛着があったし、そうした事態を免れるためにずっと最後まであきらめずに行動していたから、どうしても撤退せざるを得ない店舗が出てしまったときは本当に悔しがっていた。
それでも前向く、次に何をすべきか考える。思考を止めないところは本当にすごい。
―そんな職人肌な勉さんの、創業ストーリーを出すように今回話を運んだのは……。
隆介:私たち家族ですね(笑)。父は常日ごろから本田宗一郎さんや松下幸之助さん、孫正義さんのような世に名を轟かせるカリスマ経営者に憧れていますが、私たちにしてみたら、父は彼らに負けない偉大な経営者です。
もちろん、長年勤めあげたパイロットとしての人望もあって、過去例をみないほどの人たち(約100人)が引退パーティーに集まりました。
そんな人徳があってアツさがあって、優れた経営者である父なら、暗いニュースが多いここ最近の世の中にもきっと明るいニュースを届けることができる。
だから、世に出ていくべき。もっと知ってもらうべき。私たちはそう思っているんです。
5年ほど前から「表に出たっていいじゃないか。もう、チヤホヤされる歳じゃないんだから。」と、声をかけ続けていたら、最近ようやく乗り気になってきたみたいです。
―では、次のインタビューは。
隆介:本人に自分の口からストーリーを語ってもらいましょう。私たちが引っ張り出して来ますんで(笑)。めちゃくちゃオモロイおっちゃんの話、ぜひ聞いてあげてください!
株式会社イデア
https://idea-co.jp/
1986年創業。「よそで味わえんもんを出す」をスローガンに、他店では味わえない料理と心を繋ぐおもてなしを追求し、オリジナルブランド「神楽とり」が看板の地鶏料理専門店「宮崎地鶏炭火焼 車」「宮崎地鶏と旬菜 とり神楽」「鳥匠 Ren」、お好み焼き屋と鉄板焼店のいいとこ取りがコンセプトの鉄板焼専門店「鉄板や 上方御堂」「鉄板や かんろ」、著名人が多数訪れるハワイの本格イタリア料理店「アランチーノ」日本支店、LAスタイル本格スンドゥブ専門店「OKKII」、計7ブランドの飲食業態を運営する。2023年現在は大阪・兵庫・京都・東京の4拠点25店舗全店直営で「100年愛されるお店づくり」を展開中。