2022年度 「国際交流基金賞」 受賞者決定

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今年で50周年を迎える国際交流基金(JF)が1973年以来実施する「国際交流基金賞」の2022年度の受賞者が決定しました。本賞は、学術や芸術等のさまざまな文化活動を通じて、日本と海外の相互理解促進に顕著な貢献があり、引き続き活躍が期待される個人または団体に対して授与しています。

第49回となる今年度は、内外各界の有識者及び一般公募により推薦のあった74件から、有識者による審査を経て以下の3件を決定しました。10月19日に授賞式を開催いたします。

 

受賞者/授賞理由
■ロベール・ルパージュ(俳優、脚本家、舞台・映画監督)
ロベール・ルパージュ氏は、自身が舞台に立つ俳優で演出家、劇作家であり、創作集団としてカナダで創設したエクス・マキナを率い、演劇、オペラ、映画そしてサーカスまでその活動領域は広範囲に及ぶ。特に、最新のテクノロジーを果敢に取り入れた独自の演出は、これまでの常識を覆すものとして世界から高い評価を受けている。
日本との関わりも深く、広島を題材にした作品『太田川七つの流れ』など演出作品の来日公演や、日本人アーティストとのコラボレーションを活発に行うなど日本の舞台芸術界に大きな影響を及ぼしている。こうした彼の活動は国際相互理解の促進に貢献してきており、今後ますますの活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

■社団法人韓日協会
社団法人韓日協会は韓両国の友好親善と共同繁栄を促進することを目的として1971年に設立された。その後今日に至るまで50年に亘り、日韓両国間の相互理解の基盤となる日本語教育分野において、青少年層を対象とした未来志向の地道な活動を続けている。
韓国の中高生を対象とした日本語学力コンテスト、大学生を対象とした日本語翻訳大会、「李秀賢記念事業」を毎年実施する等、若者の人材発掘・育成事業に関わってきた。また、日本留学&日本就職フェアの実施を通して若者のキャリア支援にも尽力している。
このように長年に亘り青少年を対象とした多様な交流活動を通して日韓両国の相互理解・友好親善並びに人材育成の促進に貢献してきた。今後ますますの活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

■グナワン・モハマド(詩人、作家、画家)
グナワン・モハマド氏は、同時代のアジアにおける知的巨人の一人である。ジャーナリストとして、市民活動家として、そして詩人や劇作家として、きわめて多面的な才能を放つインドネシアを代表する知識人である。グナワン氏は1971年に週刊誌テンポ(Tempo)を発刊し、インドネシアにおける自由と民主主義の重要性を訴え続けた。グナワン氏の活動は広く、詩や戯曲、そして美術などの分野でも多彩な能力を発揮し、文筆活動とともにアート全般の普及にも寄与した。日本との関係では、1997年に国際交流基金・国際文化会館共催のアジア・リーダーシップフェローとして初来日、それ以来様々な分野で関係が拡大した。今後とも、アジアを中心とするグローバルな視野での日本・インドネシアの知的交流におけるグナワン氏の存在は大きい。
 
(各受賞者の詳細は以下をご覧ください)

■ロベール・ルパージュ(俳優、脚本家、舞台・映画監督)【カナダ】
Robert LEPAGE (Actor, Playwright, theatre and movie Director) [Canada]

©V. Tony Hauser©V. Tony Hauser

 

【授賞理由】
ロベール・ルパージュ氏は、俳優、演出、劇作、映画と活動領域は広く、どの分野においても類まれな才能を発揮し、「今世紀の最も重要な舞台芸術家の一人」と称されている。

1957年カナダのケベック州に生まれたルパージュ氏は、演劇学校で学んだ後、アラン・ナップと共にインターンシップのためフランスへ渡り、帰国後1986年『ドラゴンズ・トリロジー』で脚光を浴び、89年にはカナダ国立劇場芸術監督に就任。1992年には北米出身者で初めてロンドンのナショナル・シアターでシェイクスピアの『夏の夜の夢』の演出を手掛けるなど、若くしてその才能は世界から注目される存在となる。94年には創造集団エクス・マキナを結成。「Ex Machina」(ラテン語で「機械仕掛けの~」)なる名が示す通り、その創作スタイルは複雑な機構や小道具など最新テクノロジー等を駆使した仕掛けに溢れ、「ルパージュ・マジック」と呼ばれるスペクタクルで以後世界の観客を魅了し続けることとなる。
 

©Elias Djemil NBOC©Elias Djemil NBOC

95年には、日本の広島にインスピレーションを得て7部作上演時間7時間の一大叙事詩『太田川七つの流れ』を創作、世界的に大きな反響を呼び日本でも公演がなされ現在も世界ツアーが行われているが、「演劇は記憶の芸術」との考えの元に長時間の創作をすることも氏の特徴の一つと言える。99年にはサイトウ・キネン・フェスティバルでオペラ『ファウストの劫罰』を演出。2005年にはサーカス集団シルク・ドゥ・ソレイユのラスベガスでの公演『KÀ』を演出。10年にはメトロポリタン歌劇場でワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』を演出し大きな話題となった。こうした活躍で、レジオン・ド・ヌール勲章、アンデルセン賞、ヨーロッパ賞など多くの賞を受賞している。 

日本にも度々来日し公演や交流を繰り広げ、日本人アーティストに大きな影響を与えてきている。彼自身も、歌舞伎、文楽等の伝統芸能や日本文化から様々な影響を受けていると語っている。

このようにルパージュ氏は40年以上にわたり舞台芸術を通じた国際相互理解の推進に大きく貢献してきており、今後ますますの活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

■社団法人韓日協会 【韓国】
Korean Japanese Association [Korea]

【授賞理由】
社団法人韓日協会は、学術文化及び青少年交流を通して、日韓両国間の友好親善と共同繁栄を促進することを目的として1971年に設立された。その後今日に至るまで50年の長きに亘り、日韓両国間の相互理解の基盤となる日本語教育分野において、青少年層を対象とした未来志向の地道な活動を続けてきた。

韓国の中高生を対象とする日本語学力コンテストは、学習者の学習意欲を高めるとともに、国際化時代をリードする人材の発掘・育成に大きく寄与している。優秀者の表彰に加え、成績上位者に対して「韓日青少年交流事業」として日本への研修旅行を実施する等、相互理解を深めることに力を注ぐ。感受性豊かな吸収力の高い中高生時代の体験は、何物にも代えがたいものであり、いかなる時代にも途切れることなく実施し続けてきたことは高く評価できる。また、大学で日本語を学ぶ学生の学習意欲の向上及び人材の育成をめざし、毎年日本語翻訳大会を実施してきた。本大会は受賞者を会員とするブログを開設して学びの場、交流の場を提供する等、交流の継続性と発展性にも力を注いでいる。
 

また、日本留学中、人命救助のため志半ばで命を落とした李秀賢氏を称えることを目的とした「李秀賢記念事業」は、未来を担う若者達のさまざまな学び合いの場となっている。こうした短期的な研修・交流活動に加え、日本留学や日本での就職といった長期にわたる日本滞在をめざす若者を対象として、日本留学&日本就職フェアを毎年開催し、未来を担う若者のキャリア支援にも尽力してきた。受賞団体の活動が多岐にわたり、常に日韓両国さらにはアジアにおける共同繁栄をめざし、民間ベースで着実に実施されてきたことは賞賛に値するものである。

このように長年に亘り青少年を対象とした多様な交流活動を通して日韓両国の相互理解・友好親善並びに人材育成の促進に貢献してきており、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。今後ますますの活躍を期待して国際交流基金賞を授与する。

■グナワン・モハマド(詩人、作家、画家)【インドネシア】
Goenawan Mohamad(Poet, Writer and Painter)[Indonesia]

【授賞理由】
グナワン・モハマド氏は、同時代のアジアにおける知的巨人の一人である。ジャーナリストとして、市民活動家として、そして詩人や劇作家として、きわめて多面的な才能を放つインドネシアを代表する知識人である。
 
グナワン氏は1971年に週刊誌テンポ(Tempo)を発刊し、インドネシアにおける自由と民主主義の重要性を訴え続けた。テンポ誌は多くのインドネシア国民から愛されたが、1994年には軍艦購入の報道をめぐってスハルト政権により発禁処分にされた。だが、グナワン氏はそうした圧力に屈せず、自由報道を求めて各種の組織を設立し、抵抗姿勢を貫いた。そして1998年にスハルト政権が退陣すると、テンポ誌を復活させ、その後は英語版テンポ誌とともにニュース分析中心の日刊紙も発刊するまでに至った。
 
こうした活動により、グナワン氏は1997年にハーバード大学ニーマン・フェローのルイ・ライオンズ賞、1998年にはジャーナリスト保護委員会(CPJ)の国際報道自由賞、1999年にはワールド・プレス・レビューの国際編集者賞などを受賞している。
 

ジャーナリストとしての仕事が軌道に乗ると、グナワン氏は活動の幅を広げ、詩や戯曲、そして美術などの分野でも多彩な能力を発揮し、文筆活動とともにアート全般の普及にも寄与した。インドネシアの文化をベースに、芸術の普及を図る本格的なセンターであるサリハラ・コミュニティの創設は、まさにその象徴である。この間、フランスの芸術文化勲章、インドネシアの文化勲章なども授与されている。
 
日本との関係では、1997年に国際交流基金・国際文化会館共催のアジア・リーダーシップフェローとして初来日、そこから知的交流が始まった。その後も国際交流基金関連の様々なプログラムに参加、また日本の学界や各種の研究会にも招かれるようになった。こうしてグナワン氏と日本の間の知的交流が拡大した。今後とも、アジアを中心とするグローバルな視野での日本・インドネシアの知的交流におけるグナワン氏の存在はきわめて大きく、国際交流基金賞に相応しい人物である。

 

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