アスタミューゼでは、技術とそれを生み出す人物(イノベータ)のデータから中長期的にプレイヤーチェンジを起こす可能性のある動きを特定し、その解析結果にアナリストの考察を加えた「未来予測」手法を提供しています。当レポートでは「未来予測」手法により導き出された未来を領域ごとにご紹介します。
バイオミメティクス、バイオミミクリー、バイオインスパイアード:色素がないのに色が見える構造色、蛾の嗅覚をヒントにしたロボットノーズ(鼻)
南北アメリカ大陸に見られるモルフォ蝶やオーストラリアの熱帯雨林に見られるオオルリアゲハ(ユリシス)、玉虫やカナブン、孔雀やハチドリなどの翅は、青色や虹色など鮮やかな色彩に輝いています。
また、真珠や鉱物の白雲母などに見られるように、透明な薄い層の重層構造に光が複雑に反射して生じる様々な色の光沢も知られています。これらの翅や物質自体が色素を持っているわけではありません。
これらは表面の微細な繰り返し構造による光の干渉(多層膜干渉)によって鮮やかな極彩色が生じる現象で、「構造色」(structural color)と呼ばれます。森の宝石とも呼ばれるモルフォ蝶を模した構造色繊維「モルフォテックス」(帝人)はその応用例です。
構造色以外では、ハスの葉の撥水性や、ヤモリの脚裏の強い吸着性、昆虫の複眼のような繰り返しパターンもまた、表面の微細構造によるもので、さまざまな機能性材料の開発に応用されています。例えば、蛾の複眼を模したモスアイ(Moth-eye)構造は、液晶テレビや反射防止フィルムなどに応用されています。
このように生物の構造や機能を模して考案された技術概念は、バイオミメティクス(biomimetics)またはバイオミミクリー(biomimicry)と呼ばれ、ロボットや医療機器などにも応用されています。 mimetics も mimicry も模倣を意味するので、日本語ではいずれも「生物模倣」と訳されます。バイオミメティクスは、1950年代後半に神経生理学者のオットー・シュミット(Otto Schmitt)によって提唱され、現在は広く「生物模倣」全体の概念や研究分野の名称として使われることが多く、一方、バイオミミクリーは、「Biomimicry: Innovation Inspired By Nature(自然と生体に学ぶバイオミミクリー)」(Mariner Books/1997年、邦訳版:オーム社/2006年)を著したジャニン・ベニュス(Janine M. Benyus)が「より持続可能なデザインを創造するために」というコンセプトを加味した比較的新しい言葉で、サステナビリティや生物多様性が重視される近年、特に好まれて使われていますが、バイオミメティクスと厳密な区別があるわけではありません。
図1:美しいモルフォ蝶の色彩や光沢は、色素ではなく、翅表面の微細構造が起こす光の干渉効果(構造色)による
出所:Biomimicry as nature builds it
by Kenneth Lyngaas | Mar 27, 2014 | Sustainable Fashion, Sustainable Fashion Design
( https://buddhajeans.com/2014/03/biomimicry-as-nature-builds-it/ )
また、東京大学先端科学技術研究センターの光野秀文特任准教授は、「昆虫の匂い(主にガ類の性フェロモン)受容機構」の研究を基礎に、「昆虫の嗅覚機能を活用した匂いバイオセンサ」の開発を行っています。絹を作るカイコガの触覚に生えている細かい毛(感覚子)の表層には微細な嗅孔が空いていて、フェロモンなど匂い物質がここから入り、細胞神経に繋がる嗅覚受容体タンパク質に結合すると、カルシウムイオンが流れて、匂いが認識されるという仕組みです。世界に100万種以上いると言われる昆虫の中には、火薬や爆発物、火災の匂いに敏感な種、乳がんなど疾病特異的な体内物質の匂いに反応する種、松茸の匂い成分に反応する種などがいますので、将来的にはこれらの匂い源発見センサロボットなどへの応用も考えられます。
このように生物や生態系に見られる現象のメカニズムやプロセスにインスピレーションを得て開発される技術や材料は、バイオインスパイアード(bio-inspired)と呼ばれています。このほか、「生物模倣」に関係の深い言葉として、鳥ロボット(bionic bird)のようなバイオニック(bionic:生体工学)や脳模倣コンピュータなどのニューロモルフィック(neuromorphic:神経形態学・神経模倣工学)などがあります。本レポートの解析対象にはこれらの分野も含まれます。
未来推定・萌芽探索に用いた母集団・注目キーワードと浮かび上がってきたトレンド
本レポートでは、「生物模倣」に関するキーワードを含む世界のグラント(科研費など公的研究費) 3,000件余、特許 92,000件余、論文 11,000件余の3つのデータソースの母集団を対象として行った解析結果について、ご紹介します。まず、図2にキーワード分布を示します。
なお、解析手法の概要は以下のリンクを参照してください。
データ解析による「未来予測」の新手法の提供を開始 https://www.astamuse.co.jp/news/2022/0316/ |
図2:3データソース(グラント・特許・論文)別の「注目キーワード」出現頻度推移(抜粋)
※注目キーワード:対象領域のイノベーションの動きを特定するため、グラント、特許、論文データからテキストマイニングによって抽出した、時系列変化に特徴がみられるキーワード
キーワード分布から見えてきた母集団の特徴
キーワード分布は単純に母集団内で量が多く増えているものを見るのでなく、年次推移で減っていないこと、2017年以降のより新しい時期に使われていること、望ましくはより新しい年次に増えていることを重視しています。
また、キーワードは、その出現頻度の特徴から、一般語、領域特徴語、領域希少語、高度専門語の4つに独自ロジックで分類し、特に、領域特徴語と領域希少語を注視しています。
応用分野の広がりの俯瞰や、未成熟ながら将来の重要な技術基盤に成長するであろう「萌芽領域」探索にあたっては、各母集団の文書ベクトル空間でのクラスタリングにより、特徴的なトピックラインの文書集合をクラスタとして見出すことも活用しています。
3データソースのいずれかで2017年以降、相対的に際立って増えているキーワード(図2)として、 biomimetics, bionic, bio-inspired, neuromorphic, bioactive, biomaterials, adhesive, self-assemble, self-healing, nanostructure, porous, nanoparticles, scaffold, photonic, structural, coloration, color-changing, tunable, graphene, hydrogels, photosynthesis, photocatalysis, biomass, microorganisms, biodegradable, timing, soft robot, trigger 等があります。
- ナノ周期構造やナノポーラス構造(活性炭のような微細多孔)、構造色、光合成、DACCS(Direct Air Carbon dioxide Capture and Storage:空中CO2の直接吸収)、BECCS(Bioenergy with Carbon dioxide Capture and Storage:CO2や有機炭素源からのエネルギー・物質生産)関連の事例が3データソース全てで増えています。
- 母集団内でごく少数ながら、最近使われるようになった特徴語として、脳模倣AIに関する neuromorphic(神経形態学)や memristor(メモリ素子)が注目されます。
- 特定分子を識別したり捕獲したりする技術であるMIP(molecularly imprinted polymer:分子インプリントポリマー)や host-guest chemistry(ホスト-ゲストの化学)が3ソースで増えており、実用化と更なる応用研究の活性化が進むことが読み取れます。
- 葉緑体やDACCSも同様の傾向が見られ、実用化と更なる進化・深化が期待されます。
データから読み解くバイオミメティクスの未来
ここからは今回解析した特許、グラント、論文の中から、特に、「サステナビリティ」に関連する事例を紹介します。ここで紹介するのは解析結果のごく一部であり、バイオミメティクスの全てを網羅したものではありません。
- 植物光合成の模倣:2050年の脱炭素社会をめざす萌芽技術
- 生物の表面微細構造の模倣:2030年代に実装可能な環境低負荷材料技術
- バイオインスパイアード:循環経済型モノづくりに貢献する技術
- ニューロモルフィック:脳神経系の模倣による情報工学の萌芽技術
- 生態系の保護・保全への貢献:環境負荷低減・資源リサイクル・環境探査技術
1. 植物光合成の模倣:2050年の脱炭素社会をめざす萌芽技術
最初にご紹介するのは植物や藻類が太陽光と空中CO2から酸素と有機物を生成する光合成の模倣例です。光合成というと、近年では、光触媒などを用いて、光照射で水素ガスや有機物を生産する人工光合成が想起されますが、ここではより植物に似た仕組みが使われています。
事例1は、光合成酵素RuBisCOを模倣し、室温でCO2を吸着する2次元ナノ構造体を開発したスイス連邦工科大ローザンヌ校の論文です。バイオミメティックなDACCS(空中CO2の直接吸収)と言えます。これを都市インフラや、建材・家具、生活雑貨等に適用できれば、脱炭素社会がより身近なものになります。
事例2は、太陽光と空中CO2を摂取して植物のように「成長する材料」の開発をめざす米国マサチューセッツ工科大のグラント(DOE米国エネルギー省のファンド)です。本物の植物から取り出した「葉緑体」を寒天のような水溶性ゲルに埋め込み(人工細胞)、一定条件で培養すると、葉緑体の働きで、炭素固定と有機物産生が起こり、ゲルが少しずつ成長していき、それを材料として活用しようという興味深い発想です。石油製品に替わる持続可能なバイオニック生産工場の提案です。一種の細胞工場と言えるかもしれません。
「生物の表面微細構造の模倣:2030年代に実装可能な環境低負荷材料技術」、「バイオインスパイアード:循環経済型モノづくりに貢献する技術」、「ニューロモルフィック:脳神経系の模倣による情報工学の萌芽技術」、「生態系の保護・保全への貢献:環境負荷低減・資源リサイクル・環境探査技術」の詳細と事例については、書きをご覧ください。
バイオミメティクス/バイオミミクリーの未来展望
今回の未来推定・萌芽探索の中で強く示唆されるのは、バイオミメティクス/バイオミミクリーは、単に生物形態や機能の模倣にとどまらず、サステナブルでレジリエントな社会実現に必須の技術基盤になりつつあるというトレンドです。
具体的には、
- 葉緑体を用いた合成生物学的研究が注目されます。特に、植物生産性の向上を図る戦略(BECCS)や、空中CO2の直接吸収(DACCS)への応用など時間がかかると予想されますが、2050年を見据えた技術開発の萌芽として要注目です。
- 情報分野では、人工神経・ニューロロボットが2050年ごろの実現をめざす萌芽段階として注目されます。
- MIP(Molecularly imprinted polymers)やホスト-ゲスト化学による分子ターゲッティングは、マイクロプラスチックや環境汚染除去のみならず、味覚センサ的な電子舌、バイオテロ対策としての環境モニタリングと併せて都市インフラ化することで、国土安全保障技術としても有望です。ターゲットごとに分子設計が必要なので分子情報ビッグデータが重要になるでしょう。
- 5D分子配向プリントは、複雑な動きや高機能の材料実現というモノづくりの高度化に資する一方、製造物の応用範囲や効果測定がネックとなり、医療機器や精密機械、危険物処理など高額投資が可能な分野に限定される可能性があります。
- 構造色の色調変化の指標化は実現性・実用性ともに高く、 2030年までの実用化の可能性は高いと見られます(本レポート事例には含まれていません)。
- 自己再生・自己浄化機能を持つポリマー材料が数多く提案されており、これと生分解性を併せ持つことで、メンテナンスフリーのインフラを構築することが可能となります。
- 生分解性材料の産業化は進んでおり、2030年代前半までに普遍的技術として定着する可能性が比較的高いと考えられます。
- マリンデブリやマイクロプラスチックの回収や探査など海洋環境保全には魚型ロボットや海底クローラーロボットの導入も直近の課題となるでしょう。
- 機能性材料の耐用余命指標や、生分解開始タイミングの調整によるリサイクルマネジメントが新しいトレンドになるかもしれません。
<著者:アスタミューゼ エグゼクティブチーフサイエンティスト 川口伸明(薬学博士)>
さらに詳しい分析は……
アスタミューゼでは、新規事業開発や企業の中長期の経営計画策定、研究開発計画の立案などに際し、データドリブンでより解像度の高い未来予測/把握をご提供いたします。
アスタミューゼ「未来予測」に関するリリースは以下です。
データ解析による「未来予測」の新手法の提供を開始 https://www.astamuse.co.jp/news/2022/0316/ |
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