順天堂大学大学院医学研究科微生物学の伊東祐美助教、鈴木達也助教、岡本徹主任教授、宮崎大学農学部獣医学科の齊藤暁准教授、医薬基盤・健康・栄養研究所霊長類医科学研究センターの保富康宏センター長、浦野恵美子主任研究員、京都府立医科大学大学院医学研究科循環器内科学の星野温講師らは、大阪大学微生物病研究所、大阪大学蛋白質研究所、京都工芸繊維大学応用生物学系、岡山大学医歯薬学総合研究科、国立感染症研究所病理部との共同研究で、高親和性ACE2デコイ(※1)の新型コロナウイルス(※2)に対する治療効果を検証し、①高親和性(強くウイルスのスパイクタンパク質に結合する)にすることでACE2デコイをエスケープ(※3)できる(ACE2デコイに耐性を持つ)ウイルスが産生されないこと、②これまでの中和抗体を用いた治療において主流であった静脈投与ではなく、吸入投与することで20分の1の投与量でも静脈注射と同程度の治療効果が得られることを明らかにし、呼吸器感染症における吸入投与の有用性を実証しました。さらに、ヒトのCOVID-19病態を反映する霊長類モデルを用いた検討において、③高親和性ACE2デコイが新型コロナウイルスに感染したカニクイザル(※4)の治療にも有効であることを明らかにしました。なお、本研究は、日本医療研究開発機構(AMED) 新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業の支援(研究開発課題名:高親和性ACE2による変異株を網羅したCOVID-19治療薬開発)によって行われ、その研究成果は、国際科学誌Science Translational Medicine誌に、2023年8月30日午後2時(米国東部夏時間)にオンライン版で発表されました。
本研究成果のポイント
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新型コロナウイルスのレセプターであるACE2を改変し、100倍強固に新型コロナウイルスに結合する高親和性ACE2デコイを作製し、高親和性ACE2デコイであれば耐性ウイルスの出現が抑えられることを示しました。
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従来の抗体医薬と同様に、静脈投与では肝臓に高親和性ACE2デコイの蓄積が認められますが、吸入投与により肺に効率良く薬剤が到達することをPETイメージングで確認し、吸入投与では投与量が20分の1で従来の静脈投与と同程度の治療効果が得られることを明らかにしました。
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ACE2デコイは新型コロナウイルスを感染させたカニクイザルにおいて顕著なウイルス量の減少と肺炎症状の改善が確認され、霊長類モデルにおいてもその有効性が実証されました。
【背景】
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2) の出現により、私たちの生活、社会は大きく変わってしまいました。現在はワクチン接種や治療薬の開発によって、SARS-CoV-2は5類感染症に移行されました。しかしながら、現在も感染者数は増える傾向にあり、出現から3年以上経過しているにも関わらず依然として社会生活に大きな影響を及ぼしています。SARS-CoV-2の流行が長期化している背景には、変異株(アルファ株、デルタ株、オミクロン株やその亜系統)の出現による感染効率の改善、治療用抗体やワクチンで産生された抗体に耐性を持つ(エスケープ)ウイルスに変化することによって、感染を繰り返すウイルス側の戦略に要因があると考えられます。したがって、SARS-CoV-2に対しては今後出現するかもしれない新規の変異株にも対応でき、エスケープ変異(耐性を持つようになること)を出さない治療薬の開発が求められています。
私たちの研究グループでは、SARS-CoV-2出現当時から、大阪大学蛋白質研究所高木淳一教授と共同でレセプターデコイによる治療薬の開発を進めてきました。SARS-CoV-2のウイルス表面から突出しているスパイク蛋白質(※5)が、感染細胞に発現しているAngiotensin-converting enzyme 2 (ACE2) (※6)と呼ばれる蛋白質をレセプター(※7)として認識し、強く結合することによって細胞内にウイルスが侵入することができます。この性質を利用して、ACE2を囮(おとり:デコイ)としてウイルスと結合させることで感染を阻害する治療方法を提案し、検討しました。
我々の創出した高親和性ACE2デコイは、スパイク蛋白質とACE2の親和性を100倍強くしたACE2の変異体をヒト抗体(ヒトイムノグロブリン(IgG))のFc領域(※8)と融合させています(図1③参照)。これまでに、我々が調整した高親和性ACE2デコイは、現在治療で使われている抗体医薬と比較して耐性を持つ変異株ウイルス(エスケープ変異)が出現しにくいことを明らかにし、効率良くウイルス感染を阻害できることを報告しました (Nat Commun (2021))。さらに、高親和性ACE2デコイはオミクロン株だけではなく、新型コロナウイルスと似ているセンザンコウやコウモリといった動物のサルベコウイルス亜属のウイルス感染も抑制できること、齧歯類の動物モデルにおいて治療効果が認められることを明らかにしてきました(Sci Transl Med (2022))。しかしながら、これまでの研究では、臨床応用へ向けてヒトに近い霊長類においての効果や副作用の検証は行っていませんでした。さらに、現状の抗体医薬品の投与方法は点滴静注もしくは筋肉注射であり医療従事者による投与が必要とされている中、呼吸器に感染するSARS-CoV-2において吸入投与による投与方法が効率が良いように考えられていましたが、これまで投与方法の比較は行われていませんでした。
以上のような経緯から、研究グループでは高親和性ACE2デコイによるエスケープ変異の可能性のさらなる検討と、デコイの投与方法の検討、臨床応用に向けて高い外挿性が期待される霊長類カニクイザルを用いて治療効果の検討を行いました。
【内容】
高親和性ACE2デコイによるエスケープ変異の出現の可能性を検討するために、野生型ACE2あるいは高親和性ACE2存在下でそれぞれウイルスを培養したところ、野生型ACE2存在下で培養していたウイルスは耐性を持つ変異ウイルスが(エスケープ変異)が出現したのに対して、高親和性ACE2では培養を続けても耐性を持つ変異ウイルス(エスケープ変異)の出現は見られませんでした。野生型ACE2にエスケープできるウイルスのアミノ酸配列を確認したところアミノ酸「Y489H」の変異があることを発見しました。このアミノ酸「Y489H」の変異を持つウイルスを用いて高親和性ACE2の感受性を検討した結果、高親和性ACE2デコイに対しても抵抗性を示すことが明らかになりましたが、アミノ酸「Y489H」の変異を持つウイルスは野生型のウイルスと比較して、ウイルス増殖が顕著に低下していることが明らかになり、エスケープ変異が生じたとしてもその増殖性・病原性は低下することも示されました。
さらに、高親和性ACE2デコイをジルコニウム(Zr)を用いてラベルし、投与したACE2デコイの体内動態をPET (Positron Emission Tomography: 陽電子放射断層撮影法) (※9)に可視化しました。その結果、静脈投与したマウスではACE2デコイのほとんどが肝臓に蓄積しているのに対し、吸入投与したマウスでは肺に蓄積していることが観察され、従来の静脈投与ではほとんどが肝臓にトラップされ、薬剤効果の効率が悪いことが推察できます。そこで、静脈投与と吸入投与による投与方法をマウスやハムスターのSARS-CoV-2感染モデルを用いて検討した結果、吸入投与では静脈投与で使用する薬剤の20分の1量で同程度の治療効果が得られました。したがって、投与方法を吸入にすることによって投与する薬剤量を減らし、治療費を削減できることが期待されます。
以上の基礎データを基に、ヒトのCOVID-19病態を反映する動物モデルであることを報告している霊長類カニクイザルモデル(PNAS, 2021)を用いた感染実験による治療効果を検討しました。SARS-CoV-2を感染させたカニクイザルに高親和性ACE2デコイを静脈投与、吸入投与によって治療をしたところ、いずれの投与方法でも肺でのウイルス量や肺炎の症状が改善され、顕著な治療効果が得られることを明らかにすることができました。
以上のことから、私たちの研究グループが開発を続けている高親和性ACE2は今後も出現する新たな変異株にも治療効果が得られ、抗体医薬品で問題となっているエスケープ変異の出現もなく有用な治療薬となることが期待されます。また、本薬剤の投与によりSARS-CoV-2感染カニクイザルを治療できたことから、高親和性ACE2の有用性をさらに確認することができました。
【研究成果の意義】
本研究により、高親和性ACE2のSARS-CoV-2に対する新規治療薬としての有用性を明らかにすることができました。私たちのこれまでの研究により高親和性ACE2デコイが今まで出現したすべての変異株に対して同程度に中和活性を有することを示しています。したがって、新型コロナウイルスは、変異してもレセプター自体との親和性を変えることはできないと考えられ、今後の変異株に対しても高親和性ACE2デコイを用いることで治療効果が期待されます。さらに、本技術は他のウイルス感染症に対しても応用可能なため、他のウイルスに対する高親和性のレセプターデコイを設計することで、さまざまなウイルス感染症に対する治療薬として、高親和性レセプターデコイの汎用性を広げる研究を現在進めています。
これまでの抗体医薬品は点滴静注もしくは筋肉注射であり、医療従事者によって投与せねばならずパンデミック下においては医療の圧迫につながります。本研究において、私たちはSARS-CoV-2が呼吸器感染症であることに着目し、吸入投与の有用性を検討した結果、静脈投与で使用する薬剤の20分の1量で同程度の治療効果が得られ、吸入投与の有用性を明らかにすることができました。このことから、高親和性ACE2デコイを、ドライパウダー吸入器等を用いて処方することができれば、患者さん自身で薬剤投与が行うことができ、パンデミック下においても医療を圧迫しない新たな治療薬の開発につながることが期待できます。
最後に、高親和性ACE2デコイはSARS-CoV-2感染カニクイザルを治療できたことから、本薬剤の有用性と安全性が示され、これまでの治療用抗体に替わる有用なCOVID-19に対する新規治療薬であるという知見を得ることができました。
【用語解説】
※1 デコイ
デコイ(decoy)は囮(おとり)のことである。高親和性ACE2デコイは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する治療薬として、開発されたACE2の変異体である。本来のレセプターとしてのACE2を変異体のACE2がおとりとしてウイルスに結合し、本来の細胞表面のACE2に結合させないように仕向けている。従来のACE2と比較して、6箇所のアミノ酸変異が導入されており、ウイルスのスパイク蛋白質と100倍結合力が更新している。また、ACE2の本来の機能であるアンギオテンシン変換酵素の酵素活性は欠失している。本ACE2デコイは、ヒトイムノグロブリンのIgGとの融合蛋白質である。
※2 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)
2019年に中国で初めて発生が確認され、その後世界的流行(パンデミック)を引き起こしているウイルス。さまざまな変異を出現させ、未だに流行が続いている。
※3 エスケープ変異
抗体医薬やワクチン、治療薬に対して抵抗性を獲得する変異。抗体や治療薬が存在する中でウイルスを培養すると、時にそれらに対してエスケープ(逃避)できる(抵抗力を持つ)変異をウイルスが獲得する。エスケープ変異はウイルス感染症では新たな変異株を作らせないために特に重要で、新規薬剤の開発においては、エスケープ変異の出現は注意深く検討する必要がある。
※4 カニクイザル
カニクイザルはヒトと同じ霊長類に属する実験動物である。特に高次脳機能を有すること、長寿であること、単胎妊娠であること、月経があることなど他の実験動物種が持たない、ヒトに近い特徴を持つ。また、近縁なアカゲザルやニホンザルは季節繁殖性であるが、カニクイザルは通年繁殖性であるという点でもヒトに良く似た生理的特性を示す。このようにサル類はヒトと似た特徴を持つことから、再生医療、脳神経、長寿、行動、臓器移植、感染症、生殖などさまざまな医科学・感染症研究に利用されている。
※5 スパイク蛋白質
SARS-CoV-2の表面に突出している蛋白質。レセプターとして知られているACE2と親和性を持って結合することでウイルス粒子は細胞内に侵入する。SARS-CoV-2の変異株はスパイク蛋白質の変異による。
※6 ACE2
アンギオテンシン変換酵素(angiotensin-converting enzyme, ACE)のホモログで、SARS-CoV-2の感染に主要な宿主受容体と考えられている。SARS-CoV-2のスパイク蛋白質がACE2に結合することで、ウイルスの細胞内侵入が開始される。
※7 レセプター
ウイルス―細胞間や細胞―細胞間のコミュニケーションのために主に細胞外からの情報を細胞内に情報を伝える働きがある。ウイルスにおいては、感染する臓器、感染する動物が持っている特定の細胞表面の蛋白質を認識し感染が成立する。ウイルスが認識する特定の細胞表面蛋白質をレセプターと呼ばれる。SARS-CoV-2はACE2と呼ばれる細胞膜蛋白質をレセプターとして認識し、細胞内に侵入する。
※8 ヒトイムノグロブリン(IgG)のFc領域
ヒト免疫グロブリンとも呼ばれ、蛋白質などさまざまな分子(抗原)に結合する能力があり、不要な分子を生体内から排除する働きがある。ヒト免疫グロブリンはFc領域とFab領域からなり、高親和性ACE2デコイは、Fc領域と融合蛋白質とすることで血中での安定性の向上が期待される。
※9 PET (Positron Emission Tomography: 陽電子放射断層撮影法)
陽電子を検出し、ラベルされた物質が体内のどこに存在するかを検出できる画像検査の1つ。本研究では、マウス個体内に投与されたACE2デコイを観察するために89Zrで蛋白質をラベルし、観察を行った。
【論文情報】
掲載誌: Science Translational Medicine
論文タイトル:An inhaled ACE2 decoy confers protection against SARS-CoV-2 infection in preclinical models.
タイトル(日本語訳): 高親和性レセプターデコイのCOVID-19治療効果を霊長類モデルで確認
著者: Emiko Urano, Yumi Itoh, Tatsuya Suzuki, Takanori Sasaki, Jun-ichi Kishikawa, Kanako Akamatsu, Yusuke Higuchi, Yusuke Sakai, Tomotaka Okamura, Shuya Mitoma, Fuminori Sugihara, Akira Takada, Mari Kimura, Shuto Nakao, Mika Hirose, Tadahiro Sasaki, Ritsuko Koketsu, Shunya Tsuji, Shota Yanagida, Tatsuo Shioda, Eiji Hara, Satoaki Matoba, Yoshiharu Matsuura, Yasunari Kanda, Hisashi Arase, Masato Okada, Junichi Takagi, Takayuki Kato, Atsushi Hoshino, Yasuhiro Yasutomi, Akatsuki Saito, Toru Okamoto
著者(日本語表記): 浦野恵美子1)、伊東祐美2)、鈴木達也2)、佐々木崇了3)、岸川淳一4)、赤松加奈子5)、樋口雄亮6)、坂井祐介7)、岡村智崇1)、三苫修也8)、杉原文徳5)、高田晶5)、木村真梨5)、中尾秀人5)、廣瀬未果4)、佐々木正大5)、纐纈律子5)、辻俊也5)、柳田翔太9)、塩田達雄5)、原英二5)、的場聖明6)、松浦善治10)、諫田泰成9)、荒瀬尚5)、岡田雅人5)、高木淳一4)、加藤貴之4)、星野温6)、保富康宏1)、齊藤暁8)、岡本徹2)
著者所属: 1)医薬基盤・健康・栄養研究所、霊長類医科学センター、2)順天堂大学大学院医学研究科微生物学、3)岡山大学医歯薬学総合研究科、4)大阪大学蛋白質研究所、5)大阪大学微生物病研究所、6)京都府立医科大学大学院医学研究科循環器内科、7)国立感染症研究所病理部、8)宮崎大学農学部獣医学科、9)国立医薬品食品衛生研究所薬理部、10)大阪大学感染症総合教育研究拠点
DOI: 10.1126/scitranslmed.adi2623
URL: http://www.science.org/doi/10.1126/scitranslmed.adi2623