指揮をとったのは、行定勲、青山真治、中島哲也、石井聰亙(現・岳龍)、アレックス・コックス、岩松了、前田良輔、竹内スグルなど、映画・舞台・CM・MV等各界を代表する豪華な監督たち。
20年を経て、より際立つ映像美、先鋭的感性をお楽しみください!
連続ドラマ『私立探偵 濱マイク』放送から20年…
“種をまいた”作品がひとつの形として花が咲いた!
――20年ぶりに『濱マイク』が配信としてよみがえります。今の気持ちは?
永瀬 : しあわせだなと思いますね。20年前のキャラクターが生き延びさせていただいているわけで。こういうことって、僕ひとりが声高にお願いしてもなかなかそうはなりませんからね。いろんな人がマイクのことを思ってくれたわけで、役者冥利に尽きます。
――映画から連続ドラマへ。当時、どんなきっかけでそうなったんですか?
永瀬 : 映画版が終わった後に、チラホラと「ドラマでもやりませんか?」というお話はいただいていたんですが、映画が3本で完結しているので、どうしようかな……と踏ん切りがつかない状態でした。
その頃、ちょうど2000年あたりで世紀をまたぐ時期でしたね。なんとなく風の噂で、僕たちがガキの頃に影響を受けた、フィルムで撮影された探偵ドラマや刑事ドラマがデジタル化によってもう撮れなくなるという話が出ていました。
恩返しじゃないですけど、だったら最後に何かフィルムで作品を残しておきたいという気持ちが芽生えて、「ドラマ版もやらせていただこう」と思ったのがきっかけです。
――永瀬さんが子どもの頃に観ていたドラマというと?
永瀬 : 『傷だらけの天使』や『探偵物語』はもちろん、他局なんですが(笑)、『ムー一族』や『寺内貫太郎一家』といったドラマはよく観ていました。ドラマに仕掛けがあって、突然、生放送したり、歌いだしたり、おもしろかったなぁと。
そういったドラマを次世代に伝えたいと思っている監督やスタッフ、俳優らが集まって制作したのが『濱マイク』です。当時のインタビューでもさんざん言ってたんですけど、“種をまく作業がしたい”と思っていました。作品を見ていただいた方々の中から「ドラマ、映画、美術やファッション、撮影とかって面白そうだな」「俳優って監督って興味湧くな」「ああいう職業に就くのもいいな」等々なんでもいいので。結果が出るまでに時間がかかってもいいし、すぐに芽が出て花が咲いてくれてもいい。そういったことがしたかったので、20年たって配信していただけるというのは、ひとつの形として芽が出て、花が咲いたんだなと、うれしく思っています。
――この作品からなにか新しいものを生み出したかったと。
永瀬 : そうですね。みんなでスクラムを組んで、普段やれないようなことにチャレンジできたらいいなと思っていました。
監督が全話で違っていて、しかも、いろんなジャンルから来てくださった。海外からも参加していただいて、当時も今も、こういうことってなかなか実現しないと思うんです。それを読売テレビさんはじめ偉い方々にノッていただけた(笑)。やはり、ノッてもらえないと、サポートしていただけないと、想いだけでは革新的なものはできないですからね。
――苦労した思い出があれば教えてください。
永瀬 : 撮影スケジュールがつまっていて睡眠時間は少なかったですね。当初は、全12話の台本が揃った段階で撮影を始める予定でしたが、それぞれ監督や脚本家さんのこだわりでシナリオが大幅に遅れてしまったんです。
当時、僕はドラマの舞台である横浜に寝泊まりしていて、撮影が終わって宿泊ホテルに帰ったら、ロビーに次の台本を持った別のチームが待っているような感じでした。そこから次の打ち合わせが始まるんですけど、どうしても前のチームの内容を知らないのでネタが被ってしまったり、似てしまったり……。その調整をなぜか僕がやっていました。
というのも、原作者で映画版の監督である林海象さんが政府の支援で留学をなさっていて、日本にいらっしゃらなくて。僕が濱マイクをやっていたからなんですけど、結局、マイクを一番知っているのは僕しかいないということになって、全話の調整をしているうちに寝る時間がなくなるという……(笑)。
――ハードですね。
永瀬 : 効率は決してよいとは言えませんから。フィルムでまわしていますし、毎回のようにライブシーンがありますし、ライブハウスシーンを撮ると1日つぶれちゃうんですよ。でも、絶対やりたかった。いわゆるメディアミックス的な芝居だけではなく、音楽もアート要素もさりげなく、でもふんだんに取り入れたものにしたかったんですね。どうせやるなら。
けど、不思議と現場に殺伐とした感じはなくて、みんなニコニコして動いてる。「既成概念を壊したものをつくってるぞ!」という手応えは持っていてくれたんじゃないですかね。
――フィルム作品というのは独特な味わいがありますが、16mmフィルムの撮影は永瀬さんがこだわった?
永瀬 : そうですね。これで最後になるかもしれないというタイミングでしたし、濱マイクはフィルムから生まれたキャラクターなので、そこは残しておきたいとお願いしました。
オープニングもイギリス人のハイ・ファッションブランドの年間広告を何年も務めていて、世界中で大活躍していたファッションフォトグラファーが監督・撮影してくれたりして。いろんな要素をさりげなく詰め込みたかったというのはあります。
――当時、この作品に対してどんな反響がありましたか?
永瀬 : もちろん賛否はあったと思います。12人の監督で1話完結というのはわかっていただけたと思うのですが、視聴者の方からすると、こんなにもいろんなジャンルの作品が並ぶとは想像もできなかったかもしれませんね。そのあたりはもう少しオンエア前に視聴者の方へ伝えたかったという反省点はあります。
一方で、逆にそこを面白がってくれる人もたくさんいました。次はどんなテイストなんだろうと。視聴者だけでなく、若手の監督や俳優たちからも「パート2はやらないんですか!」「出演させてください!」など反響はありましたね。
――確かにキャストが超豪華! 出たいという声があるのもわかります。
永瀬 : 普段はお芝居をされない歌手のUAさん、SIONさん、憂歌団の木村充揮(あつき)さん、他にもクリエィティブディレクターの秋山道男さんなど、クリエーターの方たちにも参加いただけたことは当時としても新しかったと思います。
いまだに撮影の現場に行くとマイクの話をされるんですよ。「高校生の時に観てました」とか「マイクを観て役者になろうと決めました」とか。高良健吾くんはマイクを見て俳優を目指してくれたそうで。うれしいですよね。
俳優・永瀬正敏がデビューからつらぬいているもの。そして、次世代へ伝えたい思いとは…?
――ところで、永瀬さんは少年の頃、映画のどんな部分に魅せられたんですか?
永瀬 : 僕、映画に魅せられてないんですよ。宮崎県の田舎町で育ったので、中学時代は学校指定や文科省推薦の映画しか観に行けなかったんです。どちらかというとテレビですね。影響を受けたのは。
映画に関しては、初めての現場が相米慎二監督の作品で、それを体験してからですね。抜けられなくなっちゃったのは。そういう意味ではヤツのせいです(笑)。
『濱マイク』を連続ドラマでやるかどうかを迷っていた時も、相米監督が亡くなる前だったので相談したことがありました。そしたら「今だからやるんだろ? やれよ」と背中を押してもらえた。今だからやる意味がある。相米さんも時代の変わり目をわかっていらしたんだと思います。過去と未来の、ちょうどターニングポイントになる作品になると。
――放送から20年が経ったわけですが、俳優として変わらず、こだわってきた部分があれば教えてください。
永瀬 : 伝えたいという思いですかね。お芝居というのは架空の世界で、嘘の世界とも言えます。だからこそ、そこは真剣にやらないと伝わらないと思っています。
デビュー時の相米監督がそういう人だったんですよ。言葉の多い人ではなかったですし、全然教えてくれないんですけど、ただ「おまえが演じているんだから、おまえが一番知ってるはずだ」っていう。そこがまず原点で。物語という架空の世界に言い訳めいたものやテクニックなど載せてしまうと見ている人に必ずバレると思うんですよね。だから嘘の世界を100%手を抜かず生きることですかね。
――永瀬さんは作品をつくろうとする意識が高い俳優さんのように見受けられますが、俳優以外の部分でもアイディアを出すことはあるんですか?
永瀬 : マイクの場合は、テレビで立ち上げ前の時からお話をいただいていたので、仕掛けの部分ではいろいろとスタッフの皆さんと打ち合わせをさせていただきました。こんなことしたら、おもしろいんじゃないかとアイディア出ししたり。
そのひとつが視聴者プレゼントで、ドラマで使った1点ものをあげるという。もらっても、めちゃめちゃどうしようもないものとか(笑)。そういうくだらないものだけど世界に1点しかないもの、そんなのいいんじゃないの? とか。車ももしかすると、どこかの中古車センターでがんばって見つければ、そんなに大枚払わなくても買えるんじゃないの?と思えるようなものにするとか(笑)。
――ノリが伝わってきますね(笑)。現場も雰囲気がよさそう!
永瀬 : 撮影現場に入ると、俳優部はアドリブ炸裂してましたね。阿部サダヲさんがアドリブでシーンを面白くしてくれたり。そういう意味では作品に厚みをつくろうとする人が揃ってました。
――笑いも絶えなかったと。
永瀬 : うん、現場が一番楽しかったですね。忙しい俳優やスタッフが時間を割いて参加してくれていたので、ホント感謝しながらやってました。
――シナリオが遅れる中、大変だというのに(笑)。
永瀬 : じつは監督の中には、3つくらい話を用意してくれていた方達もいて。その中で厳選して「これだ!」というのをカタチにしていったので贅沢といえば贅沢なんです。
漫画家のやまだないとさんや、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の薩川昭夫さんが脚本家として参加してくださっているのも、今振り返ると信じられないラインナップですよね。マイクの探偵事務所のコンセプチュアルデザインは『キル・ビル』等世界的に活躍されている美術監督・種田陽平さんですし。ティーザー・スポット(*ON AIR前の番宣スポット)は当時映画監督になられる前の吉田大八監督(『桐島、部活やめるってよ』等)ですしね。今思えばすごいですよね。他にもファッション界や写真家さんなど様々な方々が力を貸していただき、作品を構築されています。
――成立していることが奇跡! といった連ドラですよね。では最後に、配信を楽しみにしている方へメッセージをお願いします。
永瀬 : もう一度観たいという方はもちろん、当時ご覧になっていない方、あと、若い人にも届けばいいなと思っています。今回は全回ラストが微妙に違うEGO-WRAPPIN’さんの『くちばしにチェリー』が流れるオープニング映像付きのバージョンです。20年前の作品ですが、監督、俳優はもちろん、各ジャンルの素晴らしいクリエーターの方々が参加していただいて物語を紡いでくださった作品。今ではほぼ見ることがなくなった4:3の画角の中で展開していく物語です。当時の願いだったいろんな“種がまかれた”作品を今、新鮮に受け取ってくれる人がいることを願っています。ぜひ、お楽しみください。
【前西和成プロデューサー】
2002年7月1日よる10時、連続ドラマ「私立探偵 濱マイク」が始まった時の衝撃は今でもよく覚えています。豪華すぎる出演者、オシャレな美術や画作り、カッコいい音楽、さらに一話ごとに監督も内容もガラリと変わるという斬新さに、これはとんでもないドラマが始まった!!と興奮したものでした。放送後に発売されたDVDは映画風に再編集されたディレクターズ・カット版だったので、EGO-WRAPPIN’が歌う主題歌「くちばしにチェリー」はカットされていました。そういう意味では、主題歌の流れるオープニング・タイトルがついたオリジナル版は、今回の配信で実に20年ぶりに蘇るわけです。当時の視聴者の方も、初めて見る若い世代の方も、改めてこの伝説のドラマを再発見し、楽しんでもらえれば嬉しいです。永瀬正敏さん演じる濱マイクは、今見てもめちゃくちゃカッコいいですから!!
【番組紹介】
その探偵は、横浜を縦横無尽に駆け抜ける!
永瀬正敏主演の人気シリーズ『私立探偵 濱マイク』の連続ドラマ。
本作は、映画3部作として人気を博した『私立探偵 濱マイク』(監督・林海象)から、2002年に主演の永瀬以外のキャストや設定を一新してテレビドラマ化されたものだ。
濱マイクは、横浜黄金町の映画館・横浜日劇の屋上(映画では2階)に事務所を構える私立探偵である。横浜を中心にロケが行われており、横浜のかっこよさを再発見できる作品としても根強い人気を誇っている。
キャストの豪華さや、エピソードごとに監督や脚本家を変えたことでも話題となった作品だ。
【キャスト】
濱マイク 永瀬正敏
濱茜 中島美嘉
ノブ 中村達也
みるく 市川実和子
誠 阿部サダヲ
比留間ひる 井川遥
ミント 酒井若菜
ノリコ 川村亜紀
丈治 村上淳
忠志 松岡俊介
山本金融 山本政志
さよこママ 松田美由紀
サキ 小泉今日子
【スタッフ】
■脚本 行定勲、青山真治、中島哲也 他
■監督 行定勲、青山真治、中島哲也 他
■チーフプロデューサー 堀口良則
■プロデューサー 仙頭武則、古賀俊輔、岡野彰
■制作協力 サンダーボルト
■制作会社 PUG POINT・JAPAN
■制作著作 ©「私立探偵 濱マイク」プロジェクト
【配信先】
こちらから
https://stg.ytv.co.jp/yod/archives/hama_mike.html