- 戦争被害を伝えるデータと想像を絶する患者の証言
MSFは3月31日から6月6日にかけて、653人の患者を東部の前線に近い地域から安全な地域の病院へ搬送した。移動には通常20〜30時間かかり、医師と看護師が患者の容体を観察し、安定した状態を保つための治療を行った。その間、多くの患者やその家族らがMSFスタッフに悲惨な体験を語った。
MSFの緊急対応コーディネーターであるクリストファー・ストークスは、「患者の傷を見て話を聞けば、無差別攻撃がどれほどの苦しみを市民に与えているかよくわかります。列車搬送した患者の多くは、住宅地で起きた爆撃で負傷していました。民間人を標的とした意図があるのかどうか、私たちには明確に指摘することができませんが、人口密集地で大型兵器を大量に使用するということは、民間人の殺傷は避けられないという認識があったことを意味します」と指摘する。
患者の証言からは、いくつかの共通した悲惨な状況が浮かび上がる。
• 避難所または戦闘地域から離れようとしている間に銃撃や攻撃を受けた
• 住宅地に居住または避難中に、無差別攻撃により死亡または負傷した
• 高齢者でも容赦なく残忍な攻撃を受けた
• 外傷の種類は多岐にわたり重症で、老若男女が無差別に攻撃を受けたことを示した
• 誰に傷つけられたかを尋ねると、ほとんどはロシアと親ロシア派の軍隊だと断言した
列車で搬送された人びとは、長期入院患者や、外傷による後遺症で術後ケアが必要となる戦傷者たちだ。約2カ月間で搬送した653人の患者のうち、戦争が直接的な原因となって負傷した人の数は355人。このうち圧倒的多数を占めるのが爆発による負傷だった。また、戦争関連の外傷患者の11%が18歳未満、30%が60歳以上であった。
ドネツク州リマン出身の92歳の女性は次のように証言する。「トイレに行く途中で爆発が起きて、私は意識を失い、倒れました。気がついた時には顔が乾いた血で覆われていて……。腕を開放骨折し、転んだはずみで鼻も折れました。私は一人きりで、痛くてたまらず悲鳴を上げて助けを求めましたが、誰の耳にも届きませんでした。その後、ボランティアが私を見つけ、2日間かけて救急車を呼び、病院に運んでくれました」
戦争に関連した外傷の73%は爆発が原因で、20%は爆弾の破片や銃撃によるもの、残りはその他の暴力によるものだった。戦争で負傷した患者の10%以上が少なくとも一本の手足を失い、最年少はわずか6歳だった。
MSF会長のベルトラン・ドラゲ医師は、「どの紛争でも同様に、MSFは全ての紛争当事者に対し、国際人道法の順守と、民間人と民間インフラの保護、そして市民や病人、負傷者を安全かつ迅速に避難させるという義務を果たすよう求めます。また、人びとがどこにいても援助を受けられるよう、MSFは人道援助活動が国内のいかなる地域でも行えるように徹底するよう求めます。ウクライナでは、少なくとも市民に対する無差別攻撃を目の当たりにしており、MSFの要請は非常に緊急性が高いものです」と訴える。
- ウクライナでのMSFの活動
MSFは1999年にウクライナで活動を開始。2022年2月24日以降、戦争で生じたニーズに対応するため、活動の大幅な拡大と方向転換を行っている。医療搬送列車はその一環として、大勢の負傷者が発生する東部の前線近くの病院から、西部の病院へ患者を搬送し、治療の継続を可能にしている。同列車はウクライナ保健省と国鉄の協力によって運行され、3月31日から6月6日の間に、653人の搬送と看護に当たった。東部と南部でMSFは、外科チームによる現地病院の支援、および救急車による病院間の移送・搬送も行っているが、大勢の患者を出している戦闘地域への現地入りはできていない。国内の他の地域では、避難者への医療・人道援助(心のケア、性暴力被害者の治療、移動診療所の運営、病院への医療品などの寄贈など)を行い、ウクライナから近隣のベラルーシ、ポーランド、ロシア、スロバキアに避難した人びとへの人道援助も行っている。