300億年に1秒しか狂わない光格子時計を発明し、「秒」の定義を書き換える 東京大学大学院工学系研究科 教授香取秀俊博士が受賞 第43回『本田賞 授与式・記念講演』事後レポート

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公益財団法人 本田財団(設立者:本田宗一郎・弁二郎兄弟、理事長:石田寛人)は、2022年11月17日(木)に、第43回「本田賞 授与式」を開催し、東京大学大学院工学系研究科教授 香取秀俊博士(理化学研究所主任研究員/チームリーダー)(以下、香取博士)に本賞を授与いたしました。43回目となる本授与式は、3年ぶりに帝国ホテル東京 孔雀東の間で開催されました。

 開会と同時に受賞者として紹介された香取博士は、奥様の淳子様とご一緒に入場され、盛大な拍手で迎えられました。主催者挨拶では、本田財団理事長 石田寛人が

 「香取博士、本田賞の受賞誠におめでとうございます。本田宗一郎さんと弟の弁二郎さんが45年前に創設した本田財団は、設立から一貫して自然や人間環境と調和する科学技術として「エコテクノロジー」という概念を提唱し、その普及と発展を世界に強く訴えて参りました。本田賞は1980年に我が国で初めて科学技術分野における国際褒章として設立されたものでございます。以降、毎年一件「エコテクノロジー」の理念を実践し、世の中に貢献された科学技術者を顕彰させていただいております。第43回目の授与者として香取博士をお迎えできたことは心から歓迎申し上げます。
 精密な時間測定の重要性は、現代社会において年々高まりつつあります。衛星に搭載された全球測位衛星システム(GMSS)や電子取引等における基準時間の設定、先端技術における精密計測など精密な時間測定は現代社会のあらゆる活動に不可欠なインフラです。香取秀俊博士が発明した従来の原子時計の1000倍の精度を実現する光格子時計の実用化によって『重力の低い場所ではゆっくり時間が進む』相対論的効果を使って、1cmの高低差を計測する相対論的測位が可能になります。例えば、山腹に置いた時計の変異により火山のマグマの上昇を検知するなど、防災の進化に大きな役割を果たすほか、新たな計測技術、研究分野が拓かれると期待されます。この香取博士の成果はまさしく本田賞の精神に沿った偉大な業績であります。」と称賛を述べました。
 その後、本田賞選考委員会副委員長・業務執行理事 松本和子より
 「香取博士2022年の本田賞のご受賞、誠におめでとうございます。本田賞選考委員会では現在世界に300名ほどおられる推薦人の方々に候補者の推薦をお願いし、頂戴した推薦状を基に、候補者の当該分野における専門家のご意見を拝聴しながら、委員会で厳選審査を進め受賞者を決定しております。毎年推薦は科学技術の分野を問わずお願いしておりますので、候補者の業績は多分野に渡り審査・比較は困難を極めます。11か国27組の候補者の中から委員会において白熱した議論を重ねた結果、香取博士という素晴らしい受賞者を決定できたことを大変うれしく思っております。選考過程で重視しましたのは候補者がどのような目標にチャレンジしてその業績は単なる発明に留まらず世界中の人々の実生活にいかに寄与し得るかということでございます。こういった視点で各候補者の発明と業績がどういう位置づけにあるかを幅広く議論し検証を進めました。香取博士は2001年光格子に捕獲された多数の原子を使って高精度の時間標準を作る光格子時計という新しい手法を発明されました。時間の標準である国際原子時に現在用いられているセシウム原子時計の精度は約15桁ですが、光原子時計ではマイクロ波よりも周波数が高い光学遷移を利用することで、より高精度な18桁の時間測定が可能となりました。これは、1秒ズレるのに300億年かかる時計精度です。しかし、この光原子時計である単一イオン時計では一個のイオンの周波数を測定します。1回に1秒かかる計測を10万回繰り返して正確な振動数を経るので10日間の測定時間が必要でした。 香取博士は100万回の平均を取るかわりに一度に100万個の原子を測定することで当時誰も考えたことが無かった、測定期間を劇的に短縮する光格子時計を考案しました。原子本来の周波数を変えることなく高精度且つ単独時間計測が可能な原子時計を構築し、性能を実証しました。また、2020年4月、小型化した2台の光格子時計を東京スカイツリーの展望台と地上階の2箇所に設置して比較を行い、展望台の時間は1日に10億分の4秒早く進んでいること示す論文を発表し、世界に衝撃を与えました。このことは、ロケットや人工衛星を用いた従来の宇宙実験と比肩する制度でアインシュタインの一般的相対性理論の検証に成功したことを意味します。相対論的測位を実社会に適用する第一歩となったこの実証実験は高く評価されています。さらに現在、香取博士は光格子時計の更なる小型化堅牢化と実用化に取り組んでいます。小型化した時計の常時安定動作が可能となれば、各地に配置することによって光格子時計ネットワークが形成され、GNSSよりはるかに高精度な時間を与えるだけでなく、重力による時空の歪みを検出することで地上の環境、海洋、気象、地殻変動の精緻な監視と探査が可能となります。限りなく広がる可能性を本委員会は高く評価し、今後に期待しております。エコテクノロジーの原点は本田宗一郎が語っていた『技術で人々を幸せにする』です。より正確な一秒が実現できれば、人類に与えるインパクトは計り知れません。選考委員会では画期的な発明をした香取博士の取組は本田賞にふさわしい成果であると判断し、今回の受賞に至りました。」と、香取博士が本賞を受賞した理由を説明しました。

 その後、香取博士への授与式が執り行われ、石田理事長より賞状、内田選考委員長からメダルの授与がございました。その後、奥様とお嬢様もステージに上がり主催者よりブーケを受け取りました。

 続いて、香取博士の恩師である元電気通信大学レーザー新世代研究センター教授 清水富士夫様と国立研究開発法人 理化学研究所 理事長 五神真様のお二人に加え、本田技研工業(株)会長 倉石誠司様による来賓祝辞をいただいた後、香取博士による記念講演が行われ第43回「本田賞 授与式」は終了しました。
 

  • 香取博士 記念講演

 本田賞受賞を記念して、香取博士より「好奇心が駆動するサイエンスを未来の技術につなぐ」をテーマに記念講演が行われました。
 冒頭に「この度は本田賞を賜り誠に光栄に存じます。本田財団の関係者並びに選考委員の先生方に厚く御礼申し上げます。清水富士夫先生と五神真先生からいただいた祝辞を聞きながら、この研究は、学生時代から30年近く頭の中で練ってきた研究であるということを思い出しました。20年30年研究を楽しんだら、『この技術を使って人類に社会に役立つ成果を残したい。』とだんだん年を取るにつれて考えるようになってきました。光格子時計を始めていた頃は興味本位で研究を重ね、段々と技術が出来上がり、技術をちゃんと社会に還元する。まさに最初から最後まで没頭できるような研究に出会えたことを大変光栄なことだと思っています。」と本賞の受賞の喜びと香取博士のこれまでの研究への想いを語っていただきました。
 光格子時計の発明から今後の展望について語っていただいた本公演でしたが、「時計の進化の歴史は、社会の進化の歴史に等しい」と講演中に触れた香取博士は、光格子時計が起こすイノベーションと香取博士が考える今後の構想について、「さらに小型な装置で早いスロープで短時間で例えば1000秒くらいで19桁を狙うような時計、高さにしてみればミリメートルを測れるような時計を作りたいなと思っています。光格子時計のプロトコルに一工夫を加えるとミリメートル見えるような新たな発明を楽しみにこれから実験していこうと思っています。こうやって、ターゲットができると火山の噴火予知はどういうスペックがあればいいか、あるいは地震の予測をするにはどういうターゲットがあればよいか、そんなことを地球物理の研究者と議論を始めたところです。光格子時計を小型化しネットワーク化することで、地下で今起きていることがわかるような時代が来る。時を刻む技術の高精度化は留まるところを知らないです。時間計測の技術の進歩によって、社会変革が必ず起こっている。今のGPSナビゲーションが実現している世の中はまさにそうで、それに繋がる自動運転の世の中ももう来ているわけです。光格子時計が見るような相対的時空間ってどんな未来があるのか、そんな構想をしてみたい、構想を始める時期だろうと思っています。また、昨年に高校物理の最終章を執筆する依頼がありました。その高校生達が大学・社会人となり、本当のアプリケーションを発掘してくれているのではないか。若い人材にバトンを渡すタイミングに入っているのではと思います。」とお話しいただきました。
 

  • 光格子時計の研究について

光格子の模式図 ©️2015香取秀俊光格子の模式図 ©️2015香取秀俊

精密な時間測定の重要性は、現代社会において年々高まりつつあります。衛星に搭載された原子時計による全球測位衛星システム(GNSS)や、電子取引などにおける基準時間、先端技術における精密計測など、精密な時間測定は現代社会のあらゆる活動に欠かせないインフラです。

現在、国際単位系(SI)の「秒」は、質量数133のセシウム原子の超微細準位間の遷移に基づいて定義されています。セシウム原子時計(約9.2GHzのマイクロ波)を用いた国際原子時の精度は、約15桁ですが、マイクロ波よりも周波数が高い光学遷移を利用する光原子時計では、より高精度な原子時計を実現できる可能性があります。光原子時計の最有力候補は、絶対零度近くまで冷やした荷電粒子1つを電極の間にトラップし、100万回もの計測を繰り返して正確な振動数を測定するイオントラップ法と考えられてきました。計測は1回あたり1秒かかるため、100万秒(10日間)もの測定時間が必要でした。

香取博士は、100万秒の平均をとる代わりに、一度に100万個の原子を測定することで、測定時間を劇的に短縮する光格子時計を発想しました。光の定在波※1で作った光格子に原子を捕まえ、原子運動に起因するドップラー効果を抑制するとともに、捕獲した多数原子の平均を取ることで量子雑音を低減します。このとき魔法波長※2のレーザー光で光格子を作れば、原子本来の周波数を変えることなく、高精度な原子時計を構築できることを提案し、実証しました。

このような高精度原子時計は大掛かりで設置環境に敏感な装置であるため、主に実験室で研究されてきました。2020年4月、香取博士らの研究グループは小型化した2台の光格子時計を、東京スカイツリーの展望台と地上階の2カ所に設置して比較を行い、展望台の時間は地上より1日に10億分の4秒速く進んでいることを示す論文を発表し、世界に衝撃を与えました。この実験では、時間の進み方の違いを高精度に計測することで、わずか450メートルの高低差にもかかわらず、ロケットや人工衛星を用いた従来の宇宙実験と比肩する精度でアインシュタインの一般相対性理論の検証に成功しました。この成果は、高精度時計による相対論的測位を実社会に適用する第一歩となりました。

現在、香取博士は光格子時計のさらなる小型化、堅牢化と実用化に取り組んでいます。スカイツリー実験で用いた装置の体積はおよそ1,000リットルですが、その体積を1/5にする小型機の開発が進んでいます。小型化した時計の常時安定動作が可能となれば、各地に配置することによって光格子時計ネットワークが形成できます。これらの時計群は、GNSSより遥かに高精度な時間を与えるばかりか、重力による時空のゆがみを検出することで地上の環境、海洋、気象、地殻変動の精緻な監視と探査を可能とします。たとえばリアルタイムに地殻変動を検出することで、地震予知につながる可能性もあります。

※1 定在波:空間に固定された一定の振幅分布をもった周波的波動
※2 魔法波長:時計遷移に用いる2つの電子状態の電気分極率が等しくなる波長のこと。原子の分極率は電子状態によって異なるため、生じる光シフトも電子状態によって異なる。その結果、光格子中では、2つの電子状態間の光シフト量の差分だけ共鳴周波数が変化する。ところが、魔法波長のレーザー光で光トラップを作ると、2状態の電気分極率が等しくなり、共鳴周波数の変化をゼロにできる
 

  • 『香取 秀俊博士』プロフィール

東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
国立研究開発法人理化学研究所
香取量子計測研究室 主任研究員/
光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー
国立研究開発法人科学技術振興機構 未来社会創造事業 プログラムマネージャー

生まれ
1964 年 9 月 27 日 日本

学歴
1988 年 東京大学工学部物理工学科卒業
1990 年 東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 修士課程修了
1994 年 東京大学大学院 論文博士(工学)

職歴
1991 年 東京大学工学部 教務職員
1994 年 東京大学工学部 助手
ドイツ マックス・プランク量子光学研究所 客員研究員
1997 年 科学技術振興事業団 ERATO 五神協同励起プロジェクト基礎 グループリーダー
1999 年 東京大学工学部 附属総合試験所 協調工学部門 助教授
2005 年 東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 助教授
科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST 研究代表者
2010 年~現在 東京大学大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
2010 年~16 年 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 ERATO 香取創造時空間プロジェクト研究総括
2011 年 理化学研究所 基幹研究所 香取量子計測研究室 招聘主任研究員
2014 年~現在 理化学研究所 香取量子計測研究室 招聘主任研究員/
      光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー
2014 年~22 年 ドイツ チュービンゲン大学 Distinguished Guest Professor
2018 年~現在 科学技術振興機構 未来社会創造事業 大規模プロジェクト型
     「クラウド光格子時計による時空間情  報基盤の構築」プログラムマネージャー

受賞歴
2001 年 丸文研究奨励賞
2005 年 欧州周波数時間フォーラム賞 日本学術振興会賞
ユリウス・シュプリンガー応用物理学賞
2006 年 丸文学術特別賞
日本 IBM 科学賞
2008 年 ラビ賞
2010 年 市村学術賞 特別賞
2011 年 光・量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞) 文部科学大臣表彰・科学技術賞
フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞
2012 年 朝日賞
2013 年 東レ科学技術賞 藤原賞 仁科記念賞
2014 年 紫綬褒章
2015 年 日本学士院賞
2016 年 応用物理学会業績賞
2017 年 江崎玲於奈賞
2020 年 服部報公会 90 周年特別賞 墨子量子賞2022 年 基礎物理学ブレイクスルー賞

主な会員等
日本物理学会、応用物理学会、レーザー学会、American Physical Society、日本工学アカデミー
 

  • 本田賞とは

 本田賞は、科学技術分野における日本初の国際賞であり、人間環境と自然環境を調和させるエコテクノロジーの観点から、次世代の牽引役を果たしうる新たな知見をもたらした個人またはグループの努力を評価し、毎年1件その業績を讃える国際褒賞です。
 本田賞の特徴は、いわゆる新発見や新発明といった狭義の意味での科学的、技術的成果にとどまらず、エコテクノロジーに関わる新たな可能性を見出し、応用し、共用していくまでの全過程を視野に、そこに関わる広範な学術分野を対象としているところにあります。
 自らの研究に心血を注ぎ、新たな価値を生み出した科学技術のトップランナーを支援する事が、やがてその叡智を、私達が直面する課題解決に役立てていくための第一歩となります。この観点から、当財団では今後も幅広い視野のもと、さまざまな分野の業績にスポットを当てていきたいと考えています。

 

 

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