・新しいゲノム編集ツールとなりうる遺伝子「AalCas9」を単離
・ゲノム配列上の特徴的な配列「5’-NNACG-3’」をターゲットにしていることを発見
・動物細胞・植物においてゲノム編集を実用に足る効率で実施できることを確認
概 要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門 植物機能制御研究グループ 中村 彰良 主任研究員、菅野 茂夫 主任研究員らは、TOPPANホールディングスのグループ会社であるTOPPAN株式会社(以下「TOPPAN」という)、株式会社インプランタイノベーションズ(以下「インプランタ」という)と共同で、新しいゲノム編集ツール「AalCas9」を発見・開発し、特許登録を受けました。深海堆積物から単離された微生物のゲノムにコードされている「AalCas9」は、PAM配列を認識し、ガイドRNAにより、ターゲットDNA配列を切断する酵素です。
産総研とTOPPAN、インプランタは、本ゲノム編集ツール「AalCas9」がゲノム配列上の「5’-NNACG-3’(NはA, G, C, Tのいずれでも良い場合の表記)」という配列をPAM配列として認識すること、ゲノムにコードされた野生型よりも短い配列にした人工型のガイドRNAが高活性であることを見いだし、ゲノム編集ツールとして利用可能な技術にしました(図・上段)。特に、「5’-NNACG-3’」というPAM配列は、既存のゲノム編集ツールのPAM配列とは異なり、「AalCas9」によって特異的にゲノム編集できる遺伝子が動植物を問わず存在します。また、産総研とTOPPAN、インプランタが行った植物(シロイヌナズナ)の細胞を用いた実験において、「AalCas9」が既存のゲノム編集ツールよりも高いゲノム編集活性を示す条件がありました。産総研とTOPPAN、インプランタは、「AalCas9」をゲノム編集の基盤的技術として、生命科学や医学だけでなく、農業や工業など広く事業に展開していきます。
なお、この技術の詳細は、特許7353602として公開されているほか、2023年12月7日16:00-18:15(日本時間)に開催される第46回分子生物学会年会のシンポジウム「“ポストCas9”ゲノム編集の新潮流」にて発表されます。
下線部は【用語解説】参照
開発の社会的背景
ゲノム編集は、生物の設計図であるゲノムの中の狙ったDNA配列のみ改変する技術であり、医療・農業・ものづくりなど、さまざま市場において、大きな恩恵をもたらしつつあります。特に、ガイドRNAとよばれるRNAを用いてゲノム中の位置を指定する「CRISPR-Cas9システム」は、広く使われています。一般にCas9タンパク質はPAM配列と呼ばれる塩基を認識し、その近傍を編集対象とします。既存の広く用いられているゲノム編集ツール「SpyCas9」のPAM配列は、「5’-NGG-3’」です(図・下段)。この「5’-NGG-3’」という配列はゲノム中に多く存在するものの、編集したい領域に必ずあるとは限りません。そのため、「5’-NGG-3’」と別の配列を認識してゲノム編集する技術の開発が期待されています。「SpyCas9」を改変する試みは、PAM配列の制約をなくすためには有効であり、すでに様々な報告がされています。一方で、それらの改変型SpyCas9では、相応の副作用(例えば、自分自身のgRNA配列をコードする配列を切断してしまうなど)も報告されています。
このような課題に対し、産総研とTOPPAN、インプランタは、「SpyCas9」を改変するのではなく、別の生物の「Cas9」を同定することで、「5’-NGG-3’」以外の別のPAM配列を用いて、ゲノム編集可能なツールの開発に取り組みました。
研究の経緯
産総研の生物プロセス研究部門では、主に細胞への分子導入の観点からゲノム編集技術の開発を積極的に実施しています。例えば、電気機械的穿孔という新原理に基づく分子導入装置(2022年10月21日 プレス発表)、針状結晶を用いた植物ゲノム編集のための分子導入法であるウイスカー超音波RNP法(2023年9月7日 プレス発表)などを開発してきました。一方、ゲノム編集には、細胞への分子の導入技術だけでなく、ゲノムDNAに結合して編集を実施するゲノム編集ツールそのものの開発も欠かせません。ゲノム編集ツール「SpyCas9」は、ヒト腸内細菌由来で、世の中で最もよく使われています。産総研は独自の細菌叢コレクションを持っており、微生物ゲノムの分析には強みを有しています。そこで、特有のPAM配列を認識するゲノム編集ツールをバクテリアから新しく同定することを目指しました。
研究の内容
産総研とTOPPAN、インプランタは、新しいゲノム編集ツールの開発を目指し、さまざまな微生物由来の「CRISPR-Cas9システム」を調べました。産総研が所有するタンパク質合成およびRNAの合成技術により、難培養性の微生物に由来する遺伝子も含め、複数種類の「CRISPR-Cas9」遺伝子座から推定される「Cas9タンパク質」およびガイドRNAを作製し、それらの機能を調査しました。その際、TOPPAN所有のDNA情報分析技術を利用することで、「PAM配列」を同定しました。PAM配列は「Cas9タンパク質」の種類によって異なることが知られています。複数のCas9の調査の結果、深海堆積物から単離された微生物Abyssicoccus albusの「Cas9(AalCas9)」が「5’-NNACG-3’」という特徴的な配列をPAM配列として認識することを見いだしました(図・上段)。また、「AalCas9」のガイドRNAのターゲットDNAと相補的な配列の長さおよびステムループ配列を短くした場合に、DNA切断の効率が向上することも発見しました。in vitro実験およびモデル植物シロイヌナズナのプロトプラストにおいて、「AalCas9」の活性がオリジナルと比べて2倍程度まで上昇し、「SpyCas9」と同等のゲノム編集活性を示す条件を見出しました。さらに、インプランタの植物培養技術で、シロイヌナズナ・イネのゲノム編集株を取得できること、ならびに産総研の実験では、ヒト培養細胞でのゲノム編集効率は、特定のgRNAでは70%に達することが明らかになりました。この効率は、従来の「SpyCas9」を用いた場合と同程度となります。本研究で条件を最適化した「AalCas9」は、実際のゲノム編集実験での使用を満足する効率を備えているだけでなく、特徴的な配列「5’-NNACG-3’ 」を認識して編集する新しいゲノム編集ツールと言えます。
今後の予定
「AalCas9」は、「5’-NNACG-3’」という配列を認識する特徴を持つため、ゲノム編集ツールを拡張します。TOPPAN・産総研・インプランタは共同で、本ツールをゲノム編集の基盤的技術として、事業に展開させることを企図しています。医療・農業・ものづくりなど、ゲノム編集を基盤としたさまざまな産業の拡大・発展に貢献します。
特許情報
特許番号:特許第7353602号
発明の名称:ゲノム編集方法およびゲノム編集用組成物
発明者:寺川輝彦3 矢野翼3 光田展隆1 中村彰良1 菅野茂夫1 伊藤誠一郎2 牧野洋一2
1国立研究開発法人 産業技術総合研究所、2TOPPAN株式会社、3株式会社インプランタイノベーションズ
学会発表の予定
学会名:第46回分子生物学会年会シンポジウム「“ポストCas9”ゲノム編集の新潮流」
開催日時:2023年12月6日(水)から8日(金)
開催場所:神戸ポートアイランド(兵庫県・神戸市)
備考:https://www2.aeplan.co.jp/mbsj2023/
発表日時:12月7日(木)16:00-18:15
発表のタイトル:「ユニークなPAM配列を認識するCas9オーソログ:AalCas9によるゲノム編集」
発表者:中村彰良1 菅野茂夫1 長谷川玲花3 山本宏1 矢野翼3 牧野洋一2 寺川輝彦3 伊藤誠一郎2 光田展隆1
1国立研究開発法人 産業技術総合研究所、2TOPPAN株式会社、3株式会社インプランタイノベーションズ
用語解説
PAM配列
Cas9タンパク質がガイドRNAによらずに必ず認識するDNA配列。Protospacer Adjacent Motifを略してPAMと呼ばれる。Cas9の種類ごとに異なることが知られている。
ガイドRNA
CRISPR-Cas9システムにおいて、ターゲットとなるゲノムを指定するRNA。RNAの配列を変更することで、ゲノム上のさまざまな場所を指定して編集することが可能となる。
CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)システム
バクテリアに存在する免疫システムCRISPR-Cas9を活用したゲノム編集ツールの総称。ゲノム編集因子の中で最もよく用いられている。ゲノムを切断するCas9タンパク質と、切断箇所を指定するガイドRNAが複合体を形成して機能する。
ステムループ配列
RNA鎖の一部が自分自身と結合して、ループ状の構造を形成する部分
プロトプラスト
細胞壁を取り除いた状態の植物細胞。植物細胞は固い構造である細胞壁をもつため、遺伝子などを導入しにくい。そのため、一過的な遺伝子導入実験ではプロトプラストを利用することがある。
ゲノム編集因子
ゲノムDNAを改変するため、ゲノム編集に用いられる、実行因子。細胞内に導入して狙った領域を改変する。