GHQ(連合国軍最高司令部)は占領政策に不都合な我が国の出版物を没収・廃棄した。一等兵の目線で描かれた支那事変の記録である直木賞候補作の本書も、GHQ“焚書”図書の一冊であり、それゆえ幻の名作となった。
記者である著者の文章は端正で読者をひきつけて読みやすい。詩集や点描など八つの構成からなり、表題はその一つから取られている。
紙面を割いているのは戦闘そのものよりも、日本と異なる風土、斥候に歩哨、部隊の移動、軍馬の表情、そして同郷から出征してきた知人の人となりと死である。
攻撃が止む夜間には、驟雨に濡れた塹壕で友と語らい、後方の比較的安全な場所では田舎の歌舞や昔話に花が咲き、一時のんびり平穏な時間も流れる。それでも兵たちには死ぬ時が来る。
著者は、「僕は『戦友』という言葉が嫌いだった。しかし戦線に立ってこの戦友という言葉の深さを知った」と書く。わずかな食料を分け合い、1本の煙草を10人で喫い、自分の骨を戦友にたのむ心情は、決して軍歌の文句の絵空事ではないと言い切っている。
その思いは同じく故郷に家族を残して来た身の上、敵方の兵士へのまなざしにも現れ、「敵憎し」のみではない心情が綴られる。
著者の膝で息絶えた一等兵、血まみれのポケットから出てきた軍事郵便。
ハナコ、ゴキゲンデスカ。
ヨウチエンハ、オモシロイデスカ。
オトウサンハ、ゲンキデス。
オカアサンノ、イウコト、ヨクキキナサイ。
オミヤゲヲ、モッテカエリマスヨ。
涙なしには読めない。
著者が負傷・後退した翌月、日本軍は南京に入城。東京裁判では、南京市内での日本兵による残虐行為が事実認定され、“南京大虐殺”という言葉とともに日本兵の鬼畜の如きイメージが、我が国を含め世界中に定着した。しかし本書に描かれているのは、親に捨てられた中国の子供たちを可愛がり、盲目の老婆に食事を分け与え、負傷した敵兵を労る日本兵たちである。蒋介石軍の残虐行為も描かれている。東京裁判とは真逆の内容である。それゆえ、GHQは本書を回収・破棄しなければならなかったのだろう。
同じ支那事変を中国側から書いた『普及版〔復刻版〕敗走千里』の併読もおすすめしたい。
・著者プロフィール
松村 益二(まつむら えきじ)
大正2(1913)年、徳島市に生まれる。
文化学院文学部卒業後、徳島日日新報社を経て、昭和11(1936)年、毎日新聞社に入社。
昭和12(1937)年、支那事変に応召され、昭和13(1938)年、応召解除。同年10月には『一等兵戦死』が春秋社から刊行され、同書は昭和13年上期の直木賞候補となる。
昭和19(1944)年、従軍記者としてビルマ戦線へ派遣、昭和21(1946)年に復員。その後は、徳島新聞社編集局長、徳島日本ポルトガル協会理事、四国放送代表取締役社長などを歴任。昭和59(1984)年、腎不全のため逝去。享年70。
他著に、『薄暮攻撃』(春秋社・1939年)、『モラエスつれづれ:松村益二随筆選』(モラエス会・2013年)などがある。
・書籍情報
書名:普及版〔復刻版〕一等兵戦死
著者:松村益二
仕様:新書判並製・248ページ
ISBN:978-4-8024-0147-0
発売:2022.12.06
本体:1,100円(税別)
発行:ハート出版
書籍URL:https://www.amazon.co.jp/dp/4802401477/